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店長とアルバイトの恋愛はタブーなのか?12年の片思いを実らせたある一途な女性について

小森さんは、地味な女の子だった。内気で、暗そう。挨拶の声も小さくて、「いらっしゃいませ」がよく聞こえない。

当時20歳になったばかりの小森さんは、年齢は私より一回り以上も若いが、アルバイト先の先輩だった。
当時、私たちは大きいとは言えないけれど小さくもない、都会の片隅に取り残されたような本屋さんに勤めていた。店には白龍堂書店というえらく立派な名前がついていたけれど、書店というより本屋と呼んだ方が似合う店構えだ。

店の入り口付近にはところ狭しと雑誌が並び、入ってすぐの平台には話題の新刊が積まれている。家から近くて、大きすぎなくて、買いたいものがあるわけではなくても、前を通れば何となく立ち寄ってぶらぶらする。昔はそんな町の本屋がどこにでも何軒かあったものだ。
白龍堂書店は、そんな町の本屋さんの一つだった。

最終学歴が中学卒業の小森さんは、もう5年近くも白龍堂に勤めていた。高校には進学したものの、すぐに不登校となり、しばらく引きこもった後に中退して、この店で働き始めたということだ。
その訳を聞いたことはなかったけれど、彼女のひととなりや様子から、周囲と上手く馴染めず、人間関係で躓きがあったのではないかと察していた。

私が店で働き始めた当初、他のスタッフも全員が勤続3年を超えるベテランアルバイトばかりだったが、私と小森さん以外は午後6時以降の夜シフトであったため、私に白龍堂書店の仕事のイロハを教えてくれたのは小森さんだ。

研修期間を終えた私は、それまで小森さんの持ち場だった1階の売り場とレジを担当することになり、小森さんは2階のコミック売り場の担当に変わった。
2階は以前、私と入れ違いに辞めた主婦の方が担当していたそうだ。

なかなか他人と打ち解けず、何かにつけて控えめな小森さんだったが、彼女の楽しげに弾んだ声が2階から1階まで響いてくることがあった。白龍堂の店長である浅野さんと話をしている時だ。
小森さんは、まもなく30歳になる浅野店長に恋をしていた。

彼女が店長に想いを寄せていることは傍から見て明らかだったが、彼女がその想いを誰にも漏らさず、しっかりと胸に秘めようと努力していることもまた明らかであった。

「私みたいなのは彼に好きになってもらえない」
「私なんかが彼を好きになるのは、彼にとって迷惑」

そんな風に思っていたのだろうか。彼女は浅野店長に告白することも、アプローチすることも決してなかったけれど、忠実な従業員として彼の信頼を得る努力をしていた。
そんな秘めやかな彼女の恋は、涙が多かった。

私が白龍堂書店で働き始めたばかりの頃、毎日のように顔を出す元従業員の女性がいた。私と入れ違いに辞めた、主婦の木嶋さんだ。
いや、私と入れ違いに辞めたというより、彼女が辞めることになったので求人が出され、私が採用されたのだ。

木嶋さんは毎日のようにやってきては、ゆっくりと店内を物色し、その後2階に上がって小森さんを捕まえ、ひとしきり話をしては帰っていく。
それはほぼ毎日のことだったので、この店がそんなに好きなら辞めなければよかったのに何をしているのだろうと私は不思議に思っていたが、しばらくしてその奇怪な行動の訳が判明した。

「アレ、僕の彼女なんです」

と、ある日木嶋さんの後ろ姿に目をやりながら、ふいに浅野店長が言ったのだ。
私は驚いて、

「え?そうなんですか?でも木嶋さんて、主婦じゃなかったんですか?まだ幼い男のお子さんが二人いらっしゃるってご本人からお聞きしましたけど、どういうことなんですか?」

と、問いただした。
店長の説明によると、木嶋さんは旦那さんと不仲で、「夫に殴られた」と頬にアザをつけて出勤して来ることもあり、「大変だな」と相談に乗るうち男女の仲になってしまったのだそうだ。

やがて夫に不倫がバレると木嶋さんは離婚し、二人の子供を置いたまま家を出て、今は店長が借りたワンルームアパートで同棲生活を送っているということだった。
これといって華やぎも艶もない、ごく普通に見える女性の思いがけない激しさや大胆さを知り、私は驚きを深くした。

「あの人、店長の彼女なんだってね。だいたいの話を聞いたけど、なんかすごいね」

ある時、私が小森さんに木嶋さんの話題を振ってみたところ、彼女は思い詰めた表情を見せた。

「はい。私も二人が付き合ってるって最初に聞いた時はびっくりしました。店長、あんな人でいいんだ…って思って…」

女が連日職場に押しかけるのを喜ぶ男はいないと思うが、浅野店長も次第に木嶋さんが店に現れると不機嫌な顔を見せるようになった。
女にしてみれば、以前は優しかった男が日を追うごとに冷淡になり、部屋にも帰らなくなるのだから、自分を抑えきれなかったのかもしれない。
木嶋さんは店への出入りを禁じられると、店長の子供を妊娠したので責任を取ってほしいと、店に電話をかけてくるようになった。
そして遂に別れ話を切り出されると逆上し、ナイフを振り回して彼に襲いかかったり、「死んでやる」と息巻いて自分を傷つけるなど、流血の愁嘆場を派手に演じたが、最終的には親族らに付き添われ、地方にある実家へと帰っていった。

後になって分かった事だが、木嶋さんには元々嘘をつくクセがあったらしく、夫によるDVも妊娠の話も虚言に過ぎなかった。けれどあれほどの修羅場を展開したのだから、店長に激しく恋した気持ちは本当だったのではないだろうか。

浅野店長は、

「やれやれ、酷い目にあった…」

としょげていたが、小森さんは二人が別れたことで元気になり、嬉しそうにしていた。

木嶋さんと別れた後、店長が次に恋をしたのは、やはり白龍堂でアルバイトをしていた大学生の笹野さんだ。文句無しに感じが良くて可愛い彼女も3年以上白龍堂で働き続けたベテランスタッフの一人だったが、大学の卒業と同時にアルバイトも卒業することが決まっていた。

笹野さんの最終出勤日の翌日、浅野店長がひどく落ち込んでいる様子を見て、私が

「元気ないですね。最後の日に笹野さんに告白して、振られたんでしょう?」

とかまをかけてみたら、彼は

「えっ。どうして分かるんですか?」

と目を剥いた。どうしても何も、店長は気持ちがすぐ顔や態度に出るので分かりやすいのだ。
彼は笹野さんに特別優しかったので好意を寄せていることは明白だったし、けれど木嶋さんと店長の修羅場は店員の誰もが知るところで、告白しても笹野さんが色良い返事をするはずがない。
おかしくて私は笑ってしまったが、ふと小森さんを見ると、彼女はうつむいて目を伏せた。

丁度その頃、世の中ではスマートフォンが普及し始め、電子書籍とタブレット端末の登場も世間を賑わせていた。
当然のことながら、そうしたデジタル革命は白龍堂のような小規模書店には大きな影響を及ぼした。合計すると店の売り上げの6割を占める、雑誌とコミックの売り上げがジリジリと落ち始めたのだ。

ただでさえeコマース企業に押されていたところへ紙からデジタルへの転換が起き、なりふりかまっていられなくなった白龍堂は書籍の売り場を縮小し、あらゆるものを売り始めた。

商材は次から次へと増えてゆき、複雑になりすぎて私はとても覚えきれなかったが、小森さんは新しい業務にも懸命に取り組んで浅野店長を支えた。

ここまで忠実に尽くされて、小森さんの想いに本人が気づかないはずはない。

「ねぇ、店長。小森さんて、明らかに店長のことが好きですよね?どう思っていますか」

と、おせっかいな私は聞いてみたが、返ってきたのは答えにならない答えだ。

「そうですねぇ。彼女がいないと、店は回らないです。僕の右腕ですから、もし店を変わっても引き抜いていきますよ。僕以外の下で働くことを彼女は望まないでしょうし、僕が面倒見てあげないと、彼女を雇ってくれるところは他に無いでしょうから」

生き残りをかけて試行錯誤を続ける中で、私は家庭の事情から店を去ることになったが、辞めてから2年くらい経った後だったろうか。久しぶりに白龍堂を訪ねると、レジに立つ小森さんが背中を見せて涙を拭っていた。
声をかけた私と会話しながらも、涙は後から後から盛り上がって溢れ出る。

どうやら、その時店内に居た女性が原因らしかった。その女(ひと)は浅野店長の学生時代の同級生で、近頃こうしてしょっちゅう仕事帰りにここへ立ち寄り、彼が仕事を切り上げるのを待っているそうだ。

小森さんの苦しい恋は、まだ続いていた。
彼女は一体これまでに何度、好きな人が他の女性たちと交際する姿を目の当たりにし、涙を浮かべながらやりすごしてきたのだろう。
私は涙を拭い続ける彼女のいじらしさに、言葉を詰まらせていた。

それから更に1年がすぎる頃、SNSで繋がっていた浅野店長から思いがけない知らせが届いた。

「実は、俺から小森さんに交際を申し込んで、付き合うことになりました。彼女はかれこれ10年以上うちに勤めてくれて、気がついたら一番長い時間一緒にいる、最も身近な女性になっていたので…」

照れ臭そうな彼の報告により、小森さんの慎ましさと涙が遂に報われたことを知った私は、二人に心からの祝福を送った。

引っ込み思案で恋に奥手の女の子が、12年ものあいだ同じ人をただ一途に想い、切なさも苦しみも胸に収めながら尽くし続けて、ついに想い人を振り向かせたのだ。
こんな少女漫画みたいな恋の成就が現実にあるのかと思うと、私は爽やかな感動を覚えずにはいられなかった。

交際期間は短いが、交際までの助走期間は十分長かったので、それほど間をおかずに二人は式を挙げた。

小森さんの長く苦しい片思いの舞台だった白龍堂書店は、今はもう無い。全国から「町の本屋さん」が消えゆく中で、白龍堂もまた、時代の波間にその姿を消してしまった。
現在、二人は場所を移して違う業態の店を構え、夫婦で切り盛りしながら奮闘を続けているようだ。

これから先も、これまでのように何があろうと小森さんは彼について行くのだろう。二人の末長い幸せを祈っている。

 

Author:マダムユキ
ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。

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