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アルバイトはお金だけ?人生を変えた仕事に出会えた私の素敵な知人たちの話

ここでは彼女の名前を、とりあえずミサキにしておこう。最後に会ったのが四国最南端の足摺岬(あしずりみさき)なので、ミサキだ。

私が最果ての地でミサキちゃんを見つけたのは、数年前の夏の始まりだった。
家族旅行で訪れた足摺岬で、以前同じ選挙事務所でアルバイト仲間だった女の子と、思いがけず顔を合わせた。

 

彼女は、選挙当日まで残り1ヶ月足らず、つまり選挙事務所の解散までも残り1ヶ月という中途半端な時期に入ってきた。昨年の春に短大を卒業したばかりということだったから、当時の彼女の年齢は、確か21歳だったと思う。
人手が足りていない訳ではなかったのだが、事務所の経理を担当していた古川さんが引っ張ってきたのだ。

古川さんは長い間従事していた介護の仕事をすでに定年退職していたが、職業柄なのか情に厚く世話好きで、まるで母親のようにミサキちゃんの世話を焼いていた。

「ミサキは知り合いの娘さんでね、引きこもりなのよ。関西の女子短大に入ったから一度は家を出たのだけど、卒業後に帰ってきて、そのままずっと家にいるの。人と関わるのが苦手な娘だから難しいところがあると思うけど、仲良くしてあげてね」

古川さんにそう言われて、
「ここは社会復帰のリハビリセンターみたいだな」
と、私は思った。

その事務所でバイトに雇われた「引きこもり」、もしくは「ほとんど引きこもり」、ないしは「社会復帰を目指す人」は、ミサキちゃんでもう4人目だったのである。

議員のM先生が「毎日ぶらぶらしているくらいならここへ来て手伝え」と連れてきた拓哉くんは、M先生の支援者の息子で、単位制の高校を2年留年中だった。
夜遊びに出かける他は家で寝てばかりいるのを心配した両親が、どうにかして欲しいとM先生に預けたのだ。

2人目も、やはりM先生の支援者の息子で、こちらは30代の自称Webデザイナーだ。本人は在宅で仕事をしていると話していたが、実績があるのかどうか怪しかった。
資産家の親に寄生しており、プライドばかりが高く、あからさまに女性を見下す嫌な男だったので、彼は私を含め女性スタッフたちからの抗議によって早々にクビになった。彼に名前は必要ないだろう。

3人目の愛弓さんは、都会で長年フリーターをしていたが、親の介護が必要になったため実家に呼び戻されたばかりの中年女性だ。
40歳を過ぎているが相当に若作りの彼女は、成熟した大人の女性と言うよりいまだ現役のギャルで、専業主婦を目指して合コンに励んでいた。就労を希望していなかったが、ずっと家にいるのも体裁が悪いということでバイトに来たのだ。

4人目として、最後に来たのがミサキちゃんだった。

 

ミサキちゃんが来る頃には、1人目の拓哉くんはすっかり更生を済ませていた。
彼も事務所に来たばかりの頃は無口無表情で愛想のない子だったのだが、元々はただ勉強が嫌いなだけで、コミュニケーション能力に問題があるわけではない。
留年を重ねたことで同級生に遅れ、自信を失くし捻くれていただけなのだ。

彼は大人ばかりの事務所の中で唯一のティーンエイジャーとして可愛がられ、かつ「意外と仕事はよくできる」と評価された結果、3ヶ月もたたないうちに冗談ばかり言って笑っている明るい男の子に変身していた。

拓哉くんの例があるので、私たちはミサキちゃんにも積極的に話しかけ、どんな些細なことでも大袈裟に褒めそやした。

けれど、ミサキちゃんはなかなかにガードが固かった。
引きこもりと言っても歴はそう長くないはずなのだが、まるでもう何年も他者との関わりを絶ってきたみたいに、伏目がちの目は暗く淀み、口は硬く結ばれて声を発しない。
若い女の子らしく可愛い格好はしているものの、若さ特有の初々しさや瑞々しさが微塵も感じられず、体全体から負のオーラを発していた。

経理の古川さんは、ミサキちゃんがああなってしまった原因は母親にあると言った。
「ミサキの母親はね、何て言うのか…、変な人なのよ。どこがどうとハッキリ言えないんだけど…」
「えぇ?ミサキちゃんのお母さんがですか?こないだ『ミサキをよろしくお願いします』って、菓子折り持って挨拶に来てましたよね?
小綺麗で感じのいい、普通のお母さんに見えましたけど」
「そうでしょ。一見、娘のことを思う良いお母さん風なのよね。でも、どうも娘に構いすぎるというか、話していても違和感があるというか。うーん、説明が難しいわねぇ」

私はミサキちゃんの母親と直接話をしたわけではないので判断できなかったが、ミサキちゃんに毎日手作り弁当を持たせていることについては、過保護だと感じていた。事務所では昼食に仕出し弁当が出るので、わざわざ娘に弁当を作って持たせる必要は無いのだ。

ミサキちゃんは結局、バイトに来ていた1ヶ月の間に拓哉くんのような大変身は遂げなかった。それでも来たばかりの頃に比べれば会話ができるようになったし、拓哉くんの冗談にも微かな笑顔を見せるようになっていた。
選挙が終わり、無事にM先生が再選を果たすと、事務所は解散して私達スタッフも散り散りになった。

 

それから半年が過ぎた頃だったろうか。古川さんが幹事となって、M先生の奢りで飲み会が催された。
場所は、拓哉くんが就職した地元の居酒屋チェーン店だ。

拓哉くんは選挙事務所のバイトを通して知り合った居酒屋チェーンのオーナーから、「うちで働くか?」と声をかけられ、学校を辞めて就職してしまったのだ。

「俺は勉強が嫌いで、これ以上学校に通うのも嫌だったし、選挙事務所で働いてみて、働くって楽しいなと思ったんスよね。飲食の仕事は俺に向いてるみたいです。とりあえずはここの店長目指します」
そう言ってキビキビと働く拓哉くんは、ますます別人になっていた。

専業主婦志望の愛弓さんは、相変わらず熱心に合コンしているようだったが、
「いくら合コンしても一緒に楽しく飲んで騒げる友達が増えていくだけで、ちっとも良い出会いには繋がらない」
と愚痴をこぼしていた。
婚活を諦めたわけではないということだったが、それはそれとしてちゃんと就職していた。
若い頃にはかなりの美人であったろう彼女は理想が高すぎるだけで、むしろ普通以上にコミュニケーション能力は高く、仕事もできる人だったのだ。

 

問題はミサキちゃんである。残念なことに、彼女は引きこもりに戻っていた。
何もせず毎日家にいると言うミサキちゃんにとって、その日は久しぶりの外出だったようだ。他人と話をするのも久しぶりなせいか、グレープフルーツ酎ハイを何杯か飲んでほろ酔いだったせいか、喋ろうとしても上手く口が回っていない。

会がお開きになった後、私を含め2次会には参加しない者数名が駅まで歩くことになり、そこにミサキちゃんも混ざっていた。
飲み会に慣れていないミサキちゃんは酒量の加減が分からず飲み過ぎており、少々足取りがおぼつかなかったが上機嫌だった。あんなに高揚した彼女を見たのは初めてだ。

「ミサキちゃんはまだ若いんだからさ、これからだよ。何にでもチャレンジできるよ!」
そんな大人たちの無責任な言葉に、ミサキちゃんは酔いに顔を赤くしてニコニコしながら、
「はぁい。そうですよねぇー!」
と、彼女にしては珍しくはっきり返事をしたのを覚えている。

 

それきり消息を知らなかったミサキちゃんが、目の前に居た。
旅館の制服である着物に身を包み、手際良くテーブルの上に会席料理を並べていく若い仲居さんの顔を見て、私は驚き、声を上げた。
飲み会の晩から2年近くが経過していたが、顔は見間違えようがない。

「あらっ!?お久しぶり!私のこと覚えてる?M先生の事務所で…」
「違いますっ!!!!!」

私がみなまで言わないうちに、彼女は叫んだ。
自然な打ち消しと言うには早すぎるし、強すぎる否定だった。
面食らっている私から彼女は素早く視線を外し、テーブルを整えて料理の説明を済ませると、逃げるようにして個室から出て行った。

私は狐につままれたような心持ちで、その後ろ姿を目で追いかけた。
違うと否定されたが、あれはどこからどう見てもミサキちゃんだ。間違えるはずはない。

ただ、別人のようではあった。仕事をテキパキとこなす素早い動作も、元気のいい挨拶も、時には笑顔を見せる慣れた様子の接客も、何一つ私が記憶しているミサキちゃんとは結びつかない。

逃げるようにして引っ込んだものの、会席はコースに沿って食べ終わった皿を下げ、次の料理を並べなければならず、給仕が必要になるたび彼女は姿を見せた。

決して私とは視線を合わさず、できる限り私からは顔を背けるようにして給仕をする彼女の様子からは、明らかな拒絶が見て取れた。
「彼女は見つかりたくなかったのだ」
そう悟った私は、それ以上の追求はせずに引き上げた。

 

恐らく彼女は逃げてきたのだろう。あの過干渉な母親から。
ある日、行き先を告げずにひっそりと家を出てきたのかもしれない。流れるままに海辺の町へ辿り着き、住み込みで働ける職を得たのだろうか。

そうだとすれば、私に見つかったことで彼女は不安に苛まれているはずだ。
もし私がここでミサキちゃんを見たと古川さんに話せば、古川さんから母親に居場所が漏れるかもしれない。
彼女がそんな風に悪い想像をたくましくしているかと思うと申し訳なかった。

翌朝、朝食の会場でも彼女と鉢合わせた。
目が泳がせて逃げようとする彼女に、私は声をかけた。
「昨夜は驚かせてしまって、ごめんなさいね。てっきり知り合いと思ったのだけど、他人の空似だったみたい」

すると、彼女の顔には分かりやすく安堵の色が広がった。
「そんな、とんでもないです!」
笑顔で返してくれる彼女に頭を下げながら、私はそっと胸元の名札を確認した。
そこにはやはり、私の知るミサキちゃんの名字が書かれているのを認め、改めて彼女を見つめた。

そして、
「よかったね。あなたが見違えるようになっていて嬉しいわ。頑張ってね!」
と、口に出さなかった。

足摺岬は、別世界というよりも異世界だ。
潮で粘る風、密度の濃い空気、異空間に通じていそうな気配さえする深い緑。
逃げて辿り着いたこの地で、彼女は癒され、本来の自分を取り戻したのだろう。

私は四国の最南端に位置する岬の展望台から海を眺め、願った。
若い彼女のこれからの人生が、この水面のように輝きますように、と。

Author:マダムユキ

ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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