かつて私がコンサルティング会社に勤務していた時、クライアントにはこんなことを言う人がいました。
「あの人、学歴が良くて勉強はできるみたいなのだけど、なんか微妙なんだよね」と。
特に中小企業の経営者には、もっとはっきり言う人も数多くいました。
「学歴の割にはできない」とか「学歴がいいのにアタマが悪い」とか。
まあ、そんなたぐいの話です。
私はそれを聞いて思いました。
経営者が期待して採用した「学歴のよい人」が、思ったよりも仕事ができなくて、期待外れに終わったケースが多いのかな、と。仕事の能力と、勉強の能力は別ですからね。
あるいは、筆者個人の嫌味な見方かもしれませんが、中小企業には「学歴が良い人」が珍しいがゆえに、学歴が妬みの対象になっているケースなのかな、と思うことも。
一つの例ではありますが、中には私怨に近いというか、強い学歴コンプレックスを抱いている経営者もいたからです。
ところが、事実が私の想定を超えているケースも多々ありました。
率直に言えば、「学歴がいいのにアタマが悪い」と言う意見が、極めて的を射たものだったケースもあったのです。
実際、そうした方々と話をすると、すぐに違和感を感じます。
自分に都合の良いことばかり話している。
反対意見を理解しようとしない。
相手をねじ伏せることしか考えていない。
すぐにマウントをとってくる。
コミュニケーションが円滑にとれないばかりではなく、凝り固まってしまっていて、交渉の余地がない、と感じる方も多数いらっしゃいました。
私にとって、彼らは宇宙人のように理解しづらい人間でした。
少なくとも、人と仕事をする態度ではない、と思ったからです。
しかし、ある時私は一冊の本とであって、疑問がとけたのです。
それはベストセラーにもなった、東大の名誉教授である養老孟司の「バカの壁」という本でした。
「バカの壁」には、こんな一節がありました。
知りたくないことに耳をかさない人間に話が通じないということは、日常でよく目にすることです。
これをそのまま広げていった先に、戦争、テロ、民族間・宗教間の紛争があります。例えばイスラム原理主義者とアメリカの対立というのも、規模こそ大きいものの、まったく同じ延長線上にあると考えていい。
養老孟司は「自分が知りたくないことについて自主的に情報を遮断する」という人間の特性を「バカの壁」と呼びました。
私はそこで初めて、「自分が知りたくない事を知ろうとしない、頑なな態度」=「バカ」なのだと、理解したのです。
そして、「勉強はできるけど、アタマが悪い人」が存在する理由も。
それはローマの独裁者カエサル(ガイウス・ユリウス・カエサル)が、ガリア戦記の中で書いた「人は願わしいことを信じ込む」と言う話と重なりました。
「ファクト」を提示されても人は考え方を変えない
もう一つ、私がそれについて貴重な知見を得たのは、マシュー・サイドによる著書「失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織」の一節でした。
多くの場合、人は自分の信念と相反する事実を突き付けられると、自分の過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう。次から次へと都合のいい言い訳をして、自分を正当化してしまうのだ。ときには事実を完全に無視してしまうことすらある。
この話の恐ろしいところは、「人は、都合が悪くなると、間違いを認めるのではなく、事実の解釈を変えてしまう」という点です。
確かに、自分の意見に反する事実をつきつけられた人が、捻じ曲がった解釈をしたり、完全にそれを無視する態度を取ったりすることを、私は企業の現場で大変数多く見てきました。
例えば、あるシステム開発企業で、
「このプロジェクトは数字を見ると、採算が取れていないですよね。評価はマイナスなのでは?」
と責任者に尋ねたところ、その責任者は大変怒って言いました。
「採算は取れている。」と。
私は彼の言っていることがよくわからなかったので、
「根拠はありますか?それともこの数字が間違っているのでしょうか」と再度尋ねました。
すると彼は
「そもそも、採算という言葉の定義があいまいだ。」
と言い出したのです。
しかし、彼の言い分は完全に間違いでした。
「採算」という言葉の定義は、プロジェクトの運営マニュアルの中できちんと定義されていたのです。
それを彼に指摘したところ、彼は「その定義は古いし、評価には使えない」と言いました。
若かった私は
「では、最新の定義を教えてください」と彼に言いました。
すると彼は私をものすごい目で睨み、会議室を出ていったのです。
「自分で探せ」
と言い残して。
なお、彼は学歴的には大変優秀だとみなされる大学の出身者で、強い自負心を持っていました。
このような事がしばしば発生した結果、私は
「勉強ができる」ことと、「バカの壁を作っている」ことは、たしかに両立しそうだ、と
思うに至りました。
IQが高いほどバカになりやすい「インテリジェンス・トラップ」
しかも、最近の研究では、どうやらそれ以上のことが言えるらしいのです。
デビッド・ロブソンは、著書「インテリジェンス・トラップ」の中で、IQ的な賢さと合理的判断を下す能力はあまり相関しない、という研究結果を報告しています。
例えば、シャーロック・ホームズを生み出した、稀代の推理小説作家、コナン・ドイルが、その明晰な頭脳にも関わらず、交霊術という下手なペテンに引っかかってしまったこと。
高IQ集団で知られる「メンサ」のメンバーの44%が占星術を信じているという事実。
むしろ賢い人ほど自身を正当化する証拠を上手に集めるために、非合理性にとらわれてしまうという「インテリジェンストラップ」に陥る可能性が高いと、彼は言います。
この、「IQが高いと、むしろ非合理に陥りやすい」というのは、私が数多く見てきた「学歴が高く、かつファクトを無視する人々」の行動様式にもよく当てはまります。
知能の高さと正しい判断を下す能力は別であり、むしろ知能が高いほど、騙されやすい、という俗説の裏付けがなされているのです。
答えはすでに「無知の知」として出ている
とはいえ、その改善の方法は、今から2500年も昔に、すでにギリシアの偉大な哲学者が生み出しています。
すなわち、よく言われるところの「無知の知」です。
自分の知性に対してひたすら謙虚であること、
他者の知性に敬意を払うこと、
「私はそれを知らない」と言えること。
「無知の知」の重要性を忘れたとき、我々はいかに「IQが高く、勉強ができる人」であっても、「アタマが悪い人」になってしまう。
仕事は、そういったことをあぶりだすのです。
【著者プロフィール】
◯Twitterアカウント▶安達裕哉
https://twitter.com/Books_Apps
元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者(http://tinect.jp)/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。