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学生時代のアルバイト、なにを「社会勉強」するのが正解なのか

カヨは言い訳の多い女だった。
彼女はいつも、なぜ自分がそれを「できないのか」ではなく、なぜそれを「やらないのか」について、澄まし顔で滔々と語るのだ。

「ロシアのバレエ学校では皆んな桁違いに上手だったけど、いくつかの点では私の方が勝っちゃうんだよね。案外戦っていけるものだと分かって、自信がついたわ。
でもね、クラスの中でもひときわ才能ある年下の男の子が、私に恋をしたの。それはそれはピュアに思いを寄せてくれたわ。
将来はバレエ団でプリンシパルを目指していた彼と仲良くなって、プロを目指す努力の大変さを近くで見せてもらったから、バレエはやめることにした。
私はそこまで生活をバレエに捧げられないし、中途半端にやるくらいならやらない方がマシでしょう。
私にはバレエの他にもやりたいことがあったしね」

といった具合に。

高校を休学してロシア留学したほどバレエに打ち込んでいたと聞いた時、私は意外だという感想を持った。カヨはそもそもバレリーナとして舞台映えする容姿に恵まれていないのだ。

「舞台用のメイクをバッチリしたら、別人のようになるのよ」

と彼女は不敵に笑っていたが、造作はともかく顔の大きさと重心が下にある日本人体型はどうにも誤魔化しようがない。もしも彼女が女優であれば、若い頃から割烹着を着た母親役が似合いそうな容貌なのだ。
よく親も本人もバレエに賭けてみる気になったものである。

バレエに見切りをつけて日本に帰ってきたカヨは、もともと勉強が得意だったこともあり、大学受験に身を入れた。浪人までして早稲田を目指したが力及ばず、第二志望の大学に入学している。
滑り止めとは言え、そちらも十分な歴史と名声がある名門大学だった。

関東六大学の一角に入り、テレビ局でアルバイトを始めたことがカヨのエリート意識を増長させたのだろう。
学生アルバイトの身分とは言え、社員証を首から下げて大手マスコミの本社ビルに出入りし、華やかな業界で大人たちに混ざって働くうちに、いつしか彼女は自分もその世界の住人だと錯覚していく。

当時、カヨを含めた学生アルバイトのグループは、その局の看板番組でニュース原稿の一部を書いており、番組会議にも参加が許されていた。
一番下っ端の身分にも関わらず、大物アナウンサー相手でも怯まずに意見をぶつけるカヨは、「お前はなかなか骨のある、面白い奴だな」と見込まれたそうだ。

昭和から平成にかけてお茶の間で人気を博し、在京キー局のどこもが三顧の礼をもって迎える大御所から目をかけられたとあって、カヨはすっかり天狗になっていた。

「なんたって私は番組司会者のお気に入りだからね。彼が私を可愛がるから、ディレクターやプロデューサーも私には一目置いているのよ。
お前はいつかきっとすごい仕事をするようになるって言われて、期待されてるんだから」

と、私は何度聞かされたことだろう。
素直に感心もしていたが、会話の中で二言目には大物アナウンサーの名前を持ち出されるのには、ほとほとうんざりさせられたものだ。

恐らく彼女が吹聴していたほど、その人はカヨを気に入っていたわけではないのだろう。
カヨの生意気な振る舞いを大人たちが大目に見ていたのは、単に彼女がまだ学生で、若い女の子だったからではないだろうか。
その証拠に、司会者とカヨの間に個人的な親交は無く、番組を離れると繋がりは切れてしまっている。

テレビの黄金時代に業界の大人たちから「お前はすごい奴だ」と散々おだてられたカヨは、まだ本格的に社会に足を踏み出す前だというのに、もうつまらない仕事はできなくなっていた。

そして、テレビマンよりも上の立場に立とうとして、電通への入社を目指すようになった。

電通でなければ就職する気は無いと宣言していたカヨは、あえなく採用試験に落ちると、今度はテレビよりも高尚とされた映画業界に照準を合わせた。
聞けば、映画監督になりたいという夢は元々持っていたそうだ。

「私、昔からどうしても撮りたい作品が頭の中にあるの。小津安二郎の『東京物語』を現代に置き換えた、新しい『東京物語』よ。
そのためには、私が映画作りを学ぶ場所はハリウッドじゃないのよね。パリでなくっちゃ」

カヨの撮りたい映画は『東京物語』なのだから、映画作りを学ぶのは東京で良かった気がするが、彼女はあくまでパリ留学にこだわった。
娯楽作品ではなく芸術作品を撮りたいからというのが、その理由だ。

しかし、意気揚々と渡仏したはいいが、パリでの日々は順風満帆とはいかなかった。
フランス式の映画理論や技術を学ぼうにも、そこに辿り着くまでの言葉の壁が高すぎたのだ。
その結果、パリに渡ってから2年もの間を語学の勉強だけに費やすことになってしまい、更に4年もかけて映画学校で学び終える頃には、カヨの20代はほとんど終わっていた。

映画監督になるという夢を、カヨが一体いつ諦めたのか定かではない。気づいた時にはカメラマンに転向していた。
これまでに散々、自分は才能に溢れた監督の卵だと主張してきた手前、流石にバツが悪かったのだろうか。「映画監督を目指すのはやめにした」とは、彼女もわざわざ言いに来なかった。

カヨの口から映画監督にならなかった言い訳が語られたのは、パリの学校を卒業し、日本に帰国してから何年も過ぎた頃だ。

「日本映画の業界ってさ、私がパリに行ってた6年間の間に、すっかりダメになってたんだよね。だから見切りをつけたってわけ。
日本に帰る前から、昔の知り合いや業界の人に会って話を聞いてたんだけど、日本の映画界はもうダメよ。
今の日本じゃまともな映画作りなんてできないし、今後日本からは、ろくな作品が生まれないでしょうね」

そうだろうか?

「日本で映画監督になろうと思ったら、ピンク映画から始めなくちゃいけないのよ。冗談じゃないでしょ?
映画監督になるために学校まで行ったのにと母は言うんだけど、『あなたは娘にピンク映画を撮らせたいの?』って言ってやったわ。まったく、何にも分かってないんだから」

果たして本当にそうなのだろうか?

その頃の彼女は、コマーシャルフィルムを撮影するカメラマンの元でアシスタントとして働いていた。
パリで映画の勉強をしていた間に素晴らしいカメラマンとの出会いがあり、映像の世界に魅せられるようになったそうだ。

あれほど「私にしか表現できない『東京物語』を撮りたい」と言っていたのに、本当にもういいの?
自分には感動的な物語を書く才能があるとも自慢していたのだから、せめてシナリオだけでも書いてみて、自分の目に映る東京の物語を世に問うてみればいいんじゃない?

と詰め寄りたくなったが、黙っていた。邦画はもうダメだと言い切るカヨに、その業界に明るくない私が何を言ったところで無知扱いされるだけだと分かっていたからだ。

カヨが日本の映画は死んだと断じてから今までの間に、日本映画界からは多くのヒット作が生まれている。国内で興行収入を塗り替えた作品や、国内外で高い評価を獲得し、アカデミー賞やカンヌ映画祭など、主要な国際映画祭の受賞作も少なくない。
日本の映画界は死んでいなかったようだ。

つい先日、何気なく雑誌をめくっていたら、日本中を席巻し社会現象を巻き起こした映画、「カメラを止めるな!」を撮った上田慎一郎監督のインタビュー記事が目に止まった。彼は中学生の頃から、ハンディカメラで映画を撮っていたという。

上田監督は、ただ楽しいから毎日放課後に友達と集まって、映画を撮っていたそうだ。
職業として映画監督を意識したのは高校進学の頃だが、紆余曲折があり、映画の専門学校や大学の芸術学部などへは行ってない。
とにかく浴びるように映画を見ては撮るを繰り返し、独学で映画作りを体得したと語っている。

彼は20代半ばでようやく映画制作団体に加入し、そこで技術を学んでいるが、直ぐに独立して自分の制作団体を立ち上げている。アルバイトで生活しながら自主制作映画を10本ほど作り続けた後に、劇場用長編デビュー作「カメラを止めるな!」を世に送り出したのだ。

プロフィールに書いてあった上田監督の生年月日から、彼が映画を撮り始めた中学生の頃の年代を計算してみると、丁度カヨが映画監督を目指し始めた頃と重なっていた。

なんだ。映画を撮るのに、学校へ行く必要など無かったんじゃないか。
「東京物語」を撮りたかったなら、彼のようにハンディカメラで東京を撮り始めれば良かったのだ。

映画監督になる為には、ピンク映画を撮る必要もなければ、助監督を務める必要さえもなかったんじゃないか。自分で仲間を集めて作るという道があったのだ。

映画を作ることが楽しい。ただその思いさえあれば出来たことだ。
残念なことに、そもそもカヨにはそれが無かったのだろう。

私の知る限り、カヨは映画監督を目指していた頃でさえ一本も映画を撮っていない。私は彼女がハンディカメラを回しているところを見たことがないばかりか、映画を見ているところすら見たことがなかった。

現在のカヨは親の世話になり、仕事らしい仕事はしていない。カメラマンの道も、アシスタントを15年続けたが芽が出ずに辞めている。 

カヨの人生の黄金期は、テレビ局でアルバイトをしていた大学時代だったのだ。
彼女になりたいものはなく、表現したい世界も本当は無かったに違いない。彼女は良い思いができた時代の自分を基準に据えて、「もっと上へ」と、ただ階層の上昇を目指していただけなのだろう。

以前、ある企業経営者の知人から

「学生時代のアルバイトはさ、身分不相応な場所で美味しい思いをするよりも、その辺の居酒屋なんかで働いて、酔っ払いに怒鳴られたりしてしんどい思いをしておく方がいいんだよ。
若いうちに理不尽に耐えるという経験をしておくことが、後々活きてくるからね」

と聞かされたことがある。私はカヨの歩みをつぶさに見てきたことで、彼の言わんとすることがよく分かるのだった。


Author:マダムユキ

ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
リンク:http://flat9.blog.jp/

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