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潰れそうなアルバイト先を辞める時、最後に店長に”怒られた”思い出

グラスの中のビールが半分以上のどを過ぎた頃、ふいに店長が

「あの時のあの質問はさぁ、ちょっとどうかと思ったよ。場の空気読めよ」

と言い出した。唐突に聞こえるが、きっと言い出すタイミングを測っていて、酔いが回り始めた勢いでようやく口に出せたのだろう。

その日、私は店長に連れられて、首都圏に店を構える中小の書店経営者たちの勉強会に参加した。勉強会の後で、軽く一杯飲んで帰ることにしたのだ。

「ごめんなさい。やっぱり気に触りました? 今日はせっかく貴重な機会に同行させてもらったのに、すみません。その場を白けさせるようなこと言ってしまって…」

きちんと謝ったが、すまないとは思っていなかった。なぜ質疑応答の時間に質問をぶつけてはいけないのだろう。

「でも、率直な意見です。首都圏に住んでる人たちは、リアルな空間に物が充実しているから、ちょっと足を伸ばせば目当てのものが何でも手に入るじゃないですか。本だって、話題の新刊でも、都心の大型書店にしかないような専門書でも、神保町の古本でも、欲しいと思ったらその日のうちに買えますよね。
だから、これまで地方に住む人たちがどれほど不便だったのか、ネット書店や電子書籍の登場がどれだけ有り難いことか、想像できないんですよ」

その勉強会の参加者は首都圏内の書店経営者ばかりなのだから、地方在住者や顧客の視点が抜けているのは当たり前なのかもしれないが、
「いかにして書籍を紙束のままで売っていくか」
「どうやって店舗を現状のまま維持し、自分達の仕事を守っていくか」
という論調には違和感があった。

そこで、
「電子書籍は地方と都市部の生活の格差を埋める画期的な発明です。自分達の商売に都合が悪いからといって、書籍という商品がこれまで通り紙のままであるべきだとする考え方は、商売してる側の都合に過ぎないし、都会に住んでる人たちの傲慢さではないですか?」
と質問し、会場の空気に冷や水を浴びせてしまった。

悪いことをしたとは思うが、間違ったことを言ったとは思っていない。とはいえ気を悪くした人は多かったことだろう。

この頃、巷では電子書籍の登場が大きな話題になっていた。専用端末が日本でも発売されることが決まり、そうしたタブレット端末を持っていなくても、スマホがあればアプリで電子書籍が読めるようになるらしい。

それまでもネット書店の台頭によりリアル書店の経営は苦しくなりつつあったが、これからは本の中身そのものがデジタル化してしまう。
書店経営者や店員にとって恐怖以外の何者でもなかった。

何世紀にも渡って書籍は長方形の紙束だったというのに、これからもずっとそうだと信じて疑っていなかったのに、本の形状が変わるだなんて考えたこともなかった。ましてや、自分達の仕事がなくなるかもしれないだなんて、もっと想像できないことだった。

そこで、これからリアル書店はどう生き残っていけば良いのか、そのヒントを得るために開催された勉強会だったのだ。

勉強会は2部構成で、第1部は付録付きムック本が大当たり中の出版社社員が講師を務め、第2部には複合型書店のプロデューサーが招かれた。
第1部の講師は、
「現在ではもう、書店に足を運ぶお客様は読者ではなく、消費者だと考えることが必要です」
と力説した。

彼の勤める大手出版社は、付録付きブランドムック本のヒットのおかげで、過去最高の利益をぶち上げている最中だから威勢がいい。
「消費者が求めるのは、高級ブランドの高品質な商品ではありません。ブランドの記号なのです」

つまり付録はちゃちな安物だが、ブランドの名前さえ付いていれば、消費者はありがたがって買い漁るというわけだ。全く人をバカにした話だが、実際に彼の言う通りなのだから反論できない。
けれど、
「うちが魅力的な商品を作ったおかげで、本を読まない人たちも書店に足を運ぶようになりましたよね。来店客が増えて商品もバンバン売れるのだから、書店さんも助かっているでしょう」
とドヤられると釈然としなかった。

確かにブランドムック本はよく売れていたが、他社も追随して似たような付録付きの本や雑誌を相次いで出すようになった結果、書店員は毎朝ものすごい量の付録付けと紐かけ作業に忙殺されるようになったのだ。
ムックが売れることで書店が得られる利益は、本当にその手間と人手に見合っているのだろうかと疑念が湧く。

二人目の講師は、知的でオシャレな雰囲気の若い男性で、
「本がこれからも紙束であり続けるためには、リアル書店が生き残らねばなりません。そのために、これからの書店はただ本を並べて売るだけではいけない。人と本との出会いを演出する空間プロデュースが大切になってくるのです」
と話した。

雑貨を並べ、カフェや書店内店舗を併設した複合型の書店は、これからの書店の在り方として注目され始めていた。

書籍が電子化される波に、リアル書店がどう関わっていくのか。例えばの話だが、電子書籍の専用端末は書店でも販売する。そしてコンテンツのダウンロードも書店に置いた機械で行ったり、電子書籍の会計を書店のレジでするような仕組みにすれば、リアル書店も電子書籍の販売に関わっていけると彼が話すのを聞いて、「バカじゃないか」と呆れてしまった。
そんなことをすれば電子書籍の利便性が失われてしまう。

端末とネットさえあれば、どんな地方の僻地に住んでいようといつでも本が買えて、すぐに読み始められることが電子書籍のもたらす革命なのに、どうしてわざわざ無駄な手間を増やして便利なものを不便にしようとするのか。

それで手を上げて発言したのだ。
今のままでもじゅうぶん便利と思える暮らしを享受している都会の人たちは、分かっていないと思ったから。インターネットの普及とコンテンツのデジタル化が、どれほど劇的に地方の暮らしを変えるのか、それが買い物に不便な土地に住む者にとって、いかに歓迎すべき変化なのかを。
便利なものをあえて不便にすることで、これまでの商習慣を維持し、自分たちだけの利益を死守しようとする取り組みが支持されるはずがない。仮に業界が結束してそんな働きかけをしたら、世間にそっぽを向かれるのは既存の書店と取次を挟んだ書籍の流通システムの方だ。
こんな風に的外れの悪あがきを議論しながら、リアル書店は死んでいくしかないのだろうかと思わず遠くを見てしまう。

そんな風に一歩引いて話を聞いていたのは、私が家庭の事情により、数ヶ月後には店を辞めて地方へ転居することが決まっていたからだった。
自分が書店員ではなくなるからと言って、もうこの業界がどうなってもいいだなんて思っていない。昔ながらの街角の書店も、紙の本もなくなって欲しくない。
けれどこれから始まる地方での暮らしを思うと、電子書籍の登場は嬉しかったし、ありがたいと思ったのも偽らざる本音だ。

「とにかくさ。こういう勉強会、君は絶対好きだろうと思ったから好意で連れてきたのに、俺がこの会の主催者の一人だということを考えて欲しいね」
と続く店長の文句に、「はい、すみませんでした」と重ねて詫び、

「私は辞めてしまうので、これからお店がどうなっていくのか最後までお付き合いできませんが、頑張ってくださいね」
とエールを送った。

あの時、「できる限り足掻いてみるよ」と言っていた店長は、それから数年の後に別業種の店を開いて、書店を閉めた。
予想していた通り、その後リアル書店は中小規模の店舗から先ず姿を消してゆき、やがて大型店や超大型店も閉まり始め、書店の閉店ラッシュは現在も続いている。

けれど、昔ながらの街の本屋が減っていく一方で、個性を打ち出した独立系の書店が目立ち始めているし、地方でも複合型書店が増えて大勢の買い物客で賑わっている。そうした勢いのある店の店内では、随所に紙の本を手に取りたくなる仕掛けや工夫がされており、私も立ち寄る度につい衝動買いを誘われてしまう。

確かに電子書籍は便利だが、スマホで問題なく読書が楽しめたのは、私の場合45歳までだった。目の老化に伴い、次第に長時間スマホの画面を見ていられなくなったのだ。一時期は電子書籍ばかりを購入していた私も、現在は紙の本に回帰している。

老いを実感し始めてみて思うのは、「都会の人たちは傲慢だ」と言い放ち、「本は紙から電子に代わられて、リアル書店は遠からず消えてしまうのだろう」と考えていた私もまた、当時は若さゆえに狭量で傲慢だったということだ。

きっと書店はこれからも時代に合わせて変わり続ける。ただ、変われずに取り残されてしまった書店の閉店ラッシュは、残念ながらこれからも続くのだろう。
けれど、紙の本や、本と人との出会いの場を愛し奮闘し続ける現場の人たちが居る限り、リアル書店と紙の本は死なない。
例え時代は変わっても、変わらない人の思いがある限り、変わることなく在り続けるものだってあるのだから。

 


Author:マダムユキ

ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
リンク:http://flat9.blog.jp/

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