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アルバイトは掛け持ちしてもいい でも無理をしてはいけない

私が子供だった頃、ミドリちゃんは友達の中で1番のお金持ちだった。
彼女の家は、バスルームが2つにトイレは3つ、屋根裏部屋に地下室と蔵まであって、お手伝いさんもいる豪邸だ。
それほどのお金持ちだったにも関わらず、ミドリちゃんは全くお嬢様らしくなく、まるで男の子みたいに活発で元気な女の子だった。勉強は嫌いだったけれど、恵まれた体力と運動神経を生かして陸上選手として活躍し、大学へはスポーツ推薦で進学している。

だからと言っては何だが、彼女が結婚相手にインテリの公務員を選んだ時には驚いた。
見るからに柔和でひょろりとした旦那様と、闘争的で体育会系のミドリちゃんは、足りないものを補い合っていてお似合いにも見えたし、真逆すぎて釣り合いが取れていないようにも見えた。

失礼ながら、地方公務員の給料と官舎でお嬢様育ちのミドリちゃんが暮らしていけるのかと内心疑問に思っていたが、その心配は無用だった。地元へ戻って結婚した彼女に、実家が援助を惜しまなかったからである。

結婚後まもなく子供が生まれると、ミドリちゃんの両親は娘が不自由なく子育てをしていけるようにと、若い世帯に人気のエリアに家を建て、家具と車もセットでプレゼントした。
さらに二人目の子供が生まれると、ベビーシッターも雇い入れた。

娘に甘い両親の元で、楽勝に子育てしているように見えたミドリちゃんに異変を感じたのは、彼女が二人目の子供を産んでしばらくした頃だ。わざわざ東京の白金台まで子供服を買いに出かけていると聞いて、

「え?ミドリちゃんて、そんなことするキャラだったっけ?」

と首を傾げてしまった。
私の知っている彼女は、オシャレに無頓着な人だ。着飾るどころか化粧をしているところすら見たことがない。そんな彼女が1着数万円もするような高級子供服を娘たちに着せて悦にいっているとは、一体どうしたのだろう。

この頃から、「ミドリから頻繁にお小遣いをねだられて困る」と、ミドリちゃんの母親が愚痴をこぼすようになった。けれど、服を買うためのお小遣いなどはまだ序の口だったのだ。
やがて彼女は、海外研修が決まった夫に付いて北京に渡り、そこで子供たちへのエリート教育に目覚めることになるのだから。

不便や不自由に慣れていないミドリちゃんは、現地に渡ってそうそう用意された質素な官舎に我慢がならなくなった。そこで家賃を実家に負担させ、日本人商社マンたちが多く住む高級住宅地の高層マンションに引っ越した。
マンションでのママ友付き合いから刺激を受けたのだろうか。それともマウントを取られて持ち前の闘争心に火をつけられたのだろうか。あるいはタイガーママと呼ばれる中国の母親たちの子育て方法を目の当たりにして、大きな影響を受けたのかもしれない。

何が彼女を駆り立てたのかは知る由もないが、ミドリちゃんは急に「子供達をグローバルに通用するエリートに育てる!」と言い始め、そのためにかかる高額な費用を次から次へと実家に請求し始めた。

高級マンションの家賃に、完全英語教育のインターナショナルスクール授業料、さらに中国語の家庭教師代、勉強以外のお稽古代など、実家からの仕送り額は月に100万円を軽く超えていたという。

研修期間を終えて日本に帰国し、地元へ戻ってからもミドリちゃんの教育熱は冷めなかった。
そして、「こんな田舎の学校では、子供たちを世界で活躍するエリートに育てられない!」と言い張り、英才教育が受けられる県外の私立校に子供たちを入れたのだ。
二人分の高額な学費と寮費、そして週末ごとにかかる飛行機での帰省費用も、払うのはやはり実家だった。

けれど、帰国後のそうした生活は数年で破綻をきたした。頼りにしてきた実家の財力が遂に尽きたのだ。
実は、ミドリちゃんは末っ子で、歳の離れた兄が両親の会社を引き継いでいた。残念ながらその兄は会社経営に向いておらず、代替わりしてからというもの急速に業績が悪化していたのである。

ミドリちゃんが頼りにしてきた実家の財布は、会社の金庫に直結している。金庫にお金が無くなれば、財布にもお金が入らないのは自明の理だ。
まだ余裕のあった頃は妹の振る舞いに口を出さなかった兄も、いよいよ倒産と破産の危機が見えてくると、高齢になった両親もろとも金食い虫の妹を会社から閉め出してしまった。

援助を断たれて学費の支払いができなくなったミドリちゃんは、仕方なく子供たちを地元へ呼び戻そうとした。
勉強が嫌いで英才教育を嫌がっていた下の娘は喜んで帰ってきたが、手こずったのは上の娘である。「絶対に嫌!」だと泣いて抵抗し、断固として転校を拒否したのだ。

この時すでに中学生になっていた長女は、完全に母親の思想に染まっていた。田舎に戻って今より低いレベルの学校に入り直すことは、彼女にとってエリートコースからの脱落であり、ひいては人生の挫折に思えたのかもしれない。
それまで親に対して散々ゴネて我を通してきたミドリちゃんが、その立場を娘に譲った瞬間だった。

ミドリちゃんは今、全国チェーンの洋菓子店とドラッグストアで、日夜アルバイトに励んでいる。娘の学費を稼ぐため、働くことにしたのだ。

朝から昼過ぎまでは洋菓子店で働き、一度家に帰って休憩をとると、次は夕方から夜遅くまでドラッグストアのレジに立つ。そうやってほとんど休みなく働いても教育にかかるお金は賄いきれず、親からプレゼントされた自宅の売却も検討中だそうだ。

生まれてこのかたお金に不自由したことがなく、不自由することになるとも思っていなかった彼女は、勉強をしてこなかったし、特別な技能や資格も取得していない。
稼ぐためには汗をかいて働くしか他に方法が無いのだが、いくら子供の頃から体力が自慢だったとはいえ、40代でダブルワークをするのは流石に体が辛いらしい。

「私の人生は娘の犠牲になってしまった」
と、最近しきりに嘆いていると聞く。

私自身は若く、未熟で考えが浅いうちに子供を産んでしまった。
そのため、
「今は自分の子供時代と違う。グローバルな競争社会を生き抜いていくためには、我が子にはなるべく早い時期から質の高い教育を受けさせ、可能性を広げてあげなければ」
なんて小難しいことは頭に浮かびもしなかったし、「スタートラインで負けてはいけない」という焦りも持たなかった。

だが、私のようなケースは今どき珍しいのだ。
ミドリちゃんを含め、私の同世代の友人たちはほとんどが20代後半で結婚し、30歳を過ぎてから最初の子供を産んでいる。きっと社会経験が豊富な分だけ現実の厳しさをよく知っており、ゆえに我が子には成功への道を歩ませたいと心を砕くのだろう。

すっかり教育ママになった友人の一人は、
「うちの親は放任だったから、私は遊んでばかりで勉強しなかった。だから私の人生はこんな程度に収まってしまって、今すごく苦労しているのよ。親がもし厳しく勉強させてくれていたら、もっといい人生が歩めたはず。だから自分の子供たちにはお尻を叩いて勉強させてるの」
と話をしてくれた。

なるほど、考え方や事情は人それぞれだ。

子育ては難しい。ほとんど無理ゲーと言っていい。
どんなに立派な教育論を参考に挑んでも、そこに狂気と呼べるほどの熱意が加わっても、「親の願った通りに子供が育つ」なんて都合のいいゴールは待っていない。

ミドリちゃんの子育てがどういう結末を迎えることになるのか、今はまだ分からない。けれど案外、最後に大化けするのは娘ではなくミドリちゃんの方かもしれないと思っている。
子供の頃から、とにかく負けん気の強い人だった。お金に不自由しない頃には真面目に働いたことのなかった彼女が、能力を試されるのはこれからだ。娘のためにと歯を食いしばって働くうちに、ステップアップして、遅咲きながらキャリアの道が開けていくかもしれない。

そうなったらきっと、
「私の人生は娘の犠牲にならなかった。これまでの苦労は全て、私自身のためにあったのだ」
と心から納得し、満足するのではないだろうか。

 


Author:マダムユキ

ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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