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「コロナで失ったものはありません」信州松本│蕎麦料理「滿(みつ)」が自然体で貫く哲学は今日も顧客を魅了する

私たちは今、歴史に残る日々を生きています。コロナ禍は瞬く間に世界を覆い尽くしました。
なかでも苦境に追い込まれているのが飲食店。しかも顧客の半分以上が大都市圏からの遠来の客だったら……、その打撃は計りしれません。

ところが―。
「コロナで失ったものはありません」
そう穏やかに話すのは、長野県松本市 蕎麦料理「滿」の店主、斎藤洋平さんです。

目次

コロナはやりたかったことに取り組む時間をくれた

地元の自然に生かされ、自然からの恵みを生かす

人生の師がその生き方で教えてくれたこと

そして、もっと遠くを見つめる

コロナはやりたかったことに取り組む時間をくれた

「滿」はJR 松本駅から徒歩20分、女鳥羽川近くの住宅街にあります。

国宝松本城から歩いて10分あまりのロケーション。
地元顧客の紹介などで訪れる、県外―特にコロナ禍の影響が深刻な首都圏、名古屋、大阪からの観光客が顧客の半分以上を占めています。

「それだけに、緊急事態宣言の辺りからキャンセルが相次ぎ、予約帳がみるみる真っ白になったときには、こんなこともあるんだなと茫然としました」

そう語るのは洋平さんのパートナー、陽香さん。
「滿」は洋平さんが調理、陽香さんがホールを担当し、夫婦で営んでいます。

「そば・うどん店」は1事業所当り従業員数が6.9人と、比較的小規模な店舗が多い業種です *1:p.10

~松本市とは~
ここで、松本市がどんな所か簡単に見てみましょう。

松本市は長野県のほぼ中央、山岳地帯にある、人口約24万人の城下町です。

 図1 松本のロケーション  

 出典:*2 松本市公式観光情報 新まつもと物 https://visitmatsumoto.com/         

 図2 冬の松本城と北アルプス
    出典:*3 松本市「アルプスと国宝松本城ライブカメラ」https://www.city.matsumoto.nagano.jp/live/livecamera.html

 

北アルプス、上高地、美ヶ原などの山々、スキー場、温泉、国宝松本城、松本市美術館等々、数々の観光資源に恵まれています。
2019年には、松本市内だけで年間 1,121万人以上の観光客が訪れましたが、その70%弱が県外から(図3)。


図3 松本と北アルプスの観光地利用状況
出典:*4 長野県(2020)「令和元年 観光地利用者統計調査結果」 p.8
https://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangyo/kanko/toukei/documents/r1riyousyakekka.pdf

「食」への関心も高く、国が推進する食品ロス削減運動「30・10(さんまる・いちまる)運動」発祥の地で、食育も盛んです *5、*6。
その一方で、「バーの町」としても知名度が高く、成熟した大人の文化も根づいています。

~折詰と地方発送、そして地元の連携~
「滿」の話にもどりましょう。
コロナ禍対策はどうしたのでしょうか。

予約表が真っ白になった頃から5週間あまり、店舗営業は見合わせ、代わりに折詰のテイクアウトを始めました。

告知はインスタグラムで。
店先にも折詰の写真を掲示したところ、「こんな所にこんなお店があったのか」と通りすがりに気づいてもらえることも多く、注文が相次ぎました。

折詰の容器にも拘りました。
プラスティック製なら10分の1の値段でしたが、ゴミが気になります。
「環境にもやさしく、見た目も嬉しくなるものを」
と、天然の竹皮素材のものをチョイスしたと陽香さんは微笑みます。

苦しくても、店のポリシーを変えることだけはやめようと夫婦で決めていました。

こうした中、地元の有志が飲食店を応援するため、テイクアウト情報を発信するwebマガジンを立ち上げ、「滿」を取り上げてくれました。
この経験は個人店同士の共感を呼び合い、テイクアウトの相談をすることもできて心強く、大きな力になりました。
それは、コロナ禍だからこその連帯だと陽香さんは思っています。

こうして、「滿」は次の一歩を踏み出すことになります。
料理の全国発送です。
それまでも蕎麦の発送は手がけていましたが、「めん製造業」の免許だけでは料理を送ることができないため、「そうざい製造業」の免許を短期間で取得しました。

ここからが正念場でした。
店内で提供する料理と、発送し顧客の手元に届き顧客の食卓で美味しい料理とは違います。
二人で深夜まで、店の厨房でレシピ開発に没頭しました。

「でも、テイクアウトや全国発送は、いつか時間をみつけてやりたいと思っていたことだったんです。コロナがその時間をくれました」

この経験は料理の幅を拡げ、バリエーションを増やしました。
そのとき開発したレシピのいくつかは、現在、店舗で提供する料理に取り入れています。

全国発送の準備が整い、インスタグラムで情報をシェアすると、予想以上の反響がありました。
店舗休業中はほぼ毎日、料理を発送しましたが、木曜日の定休日に山菜を摘んだので鮮度のいいうちに、またゆっくり楽しんでもらうためにも週末のお届けを心がけました。

目の前にやるべきことがある―コロナ禍にあって、そうした状況は好ましいものでした。

心を込めて丁寧に梱包した料理が届くと、
「美味しかった。ありがとう!」
「お店には行けないけれど、お料理が食べられて嬉しかった。応援しています!」
など、顧客からのエールが次々に届き、心底、励まされました。

地元の自然に生かされ、自然からの恵みを生かす

「コロナで失ったものはありません」

洋平さん夫妻がそう言うのは、なぜでしょうか。
それをお話しするためには、もう少し「滿」の物語にお付き合いいただかなければなりません。

~蕎麦しかなかった~
信州といえば、蕎麦。
長野県は古くから蕎麦の産地として知られています。

表1 長野県の蕎麦作の全国シェアと順位

出典:*7 長野県(2020)「長野県のそばについて」
https://www.pref.nagano.lg.jp/nogi/sangyo/nogyo/okome/soba.html

蕎麦の作付面積、生産量ともにシェアは10%以下ですが、全国順位はそれぞれ3位、2位と上位にランクインしています。

洋平さんも調理学校を卒業後、蕎麦店で修行することに迷いはありませんでした。
いくつかの店で面接に臨んだ洋平さんは、立川にある蕎麦懐石の店、M庵のオーナーに強く惹かれ、そこを修行の場に選びました。

オーナーは自営農場で無農薬の伝統野菜を栽培し、トラック一杯の野菜を店に届けます。
M庵では料理だけでなく、店舗空間の作り方から生き方に至るまでさまざまなことを学びました。

その後、他店での修行を終え、独立して店を構えることにした洋平さん夫妻は、ある日、偶然、現在の店舗となる古民家に遭遇しました。

一番の決め手は、家の真ん前にある「女鳥羽の泉」。
松本城周辺地域には、美ヶ原などの山岳地帯がもたらす地下水が豊富で、数多くの井戸や湧き水があります。
「女鳥羽の泉」はそうした湧き水を地元の酒造会社が井戸として掘ったもので、誰にでも無料で開放されています。

洋平さんがこの水を使って蕎麦を打ってみたところ、蕎麦粉との親和性が抜群であることがわかりました。
庭には杏や甘柿、花山椒も植えられていて楽しそう。それに、大家さんも親切でした。

これで決まり!

洋平さんと陽香さんの店作りが始まりました。

~ゆったりと洗練された空間~
「滿」は2015年に創業しました。
店内にはM庵仕込みの、清々しく洗練された空間が広がっています。

店舗営業を再開しても、特別コロナ対策を立てる必要はありませんでした。
元々、ソーシャルディスタンスを意識する必要がないほどゆったりしたレイアウトなのです。

 

~食材は自然の恵み~
「滿」の特徴は、なんといってもその食材です。

春は野草と山菜、春きのこ。
暑い盛りは濃厚な味わいの夏きのこに鮎。
秋は新蕎麦と秋きのこ。ひとつのコースで20種類のきのこを使います。
冬は鯉にジビエ。

夫婦で山に入り、多くの食材を自らの手で調達します。
採れるのはすべて自然のもの。
形も色も大きさも不揃いです。
そのひとつひとつの個性をどう生かすか―調理で大切にしていることのひとつです。

店舗営業を自粛していた頃も山に入り、山菜や春きのこを採りました。
山は、いつもと変わらず、自然の営みもいつも通りで、季節の恵みに溢れていました。
コロナとは関係なく、息づいている世界がある……。

収穫した山菜を見て、
「ああ、これをあのお客様に召し上がっていただきたい」
そう思ったのが、全国発送の動機です。

庭の池では岩魚を飼い、身は刺身に、皮と骨は唐揚げにします。
杏が色づき熟したら杏シロップを作って自家製ジュースに。

蕎麦は信頼した農家さんから直接、仕入れたものを石臼で挽きますが、自らも蕎麦栽培をしていて、収穫した新蕎麦は11月から年内いっぱいくらい、蕎麦がきにして供しています。
ただ、去年は収穫直前に台風に見舞われ、蕎麦畑が水浸しになって、ほとんど収穫できませんでした。

「こういうこともあります。どれほど丹精を込めて育てていても、不測の事態は起こり得ることです。次はどうしたらいいのか、それを考えます。季節はまた巡ってきます。1回ですべてが終わるわけではありません」
洋平さんは静かにそう言います。

大豆を育て、味噌を作ります。
その他にも自分で栽培する野菜の種類を少しずつ増やしています。
生ごみはたい肥にして、土に混ぜます。

自ら栽培するのは時間も労力もかかりますが、売っている野菜を買うより、学ぶことがずっと多いといいます。

狩猟を始めたのは創業の翌年。
カモ、キジ、キジバト、ヒヨドリなどを仕留め、その場で内臓を抜きます。
野生の鹿や猪は処理場から連絡をもらって購入します。

狩猟を始めた理由はいたってシンプルです。
「野草も、山菜も、きのこも、野鳥も、みんな同じ所で生きているものですから」

「どれも大切な命。最初に撃ったときには手が震えました。僕は自分で命を奪ったものを生業のために売っています。そのことによって、命の大切さ、その命をいただいて生きているありがたさをより強く感じるようになりました」

 

人生の師がその生き方で教えてくれたこと

「コロナで失ったものはありません」

この言葉の謎が少しずつ解けてきたでしょうか。
最後にもうひとつエピソードがあります。

スケジュールが真っ白になったちょうどその頃、大きな箱が届きました。
蓋を開けてみると、たくさんの干し芋と、励ましのメッセージが。

送り主は宮城県の山奥に住む伝説の作陶家、70代のS氏です。
古今東西の美しいものを身の回りに置いて生活し、自らの手で作ったのぼり窯で暮らしに寄り添う器をひたすらに焼いています。
粘土だけでなく、釉薬の原料も自ら採取し、自分の作品を「作物」と呼びます。

そんなS氏を洋平さん夫妻は心から尊敬しています。
S氏の生き方から学んだ大切なこと、それは長いスパンで物事を捉えることです。

 

そして、もっと遠くを見つめる

「コロナで失ったものはありません」

それは、大変なことがなかったという意味ではありません。
「滿」も経済的には大きなダメージを負いました。

それでも心の奥底はビクともしなかった。
それどころか、これからの生き方が明確になってよかった。

そう思える理由を洋平さんはこう分析しています。

「ランニングコストが負担にならない程度であったり、創業から5年経ち、それなりに試行錯誤した後だったこと」

でも、それだけでしょうか。

「もちろん、尊敬する方々の物事の捉え方、生き方からは大きな影響を受けています」

コロナには物事の本質を炙り出すというプラスの側面もあります。
顧客が「滿」に惹かれるのは、何か確かなもの、ゆらぎのない、まっすぐなもの、それが料理を通して伝わってくるからに違いありません。

コロナ禍をどう乗り切って行くか。
「滿」のあり方は、そのひとつのヒントになるのではないでしょうか。

*1
総務省(2018)「平成28年経済センサス・活動調査 産業別集計 結果の概要」
https://www.stat.go.jp/data/e-census/2016/kekka/pdf/serviceb.pdf
*2
松本市公式観光情報 新まつもと物語         
https://visitmatsumoto.com/ 
*3
松本市「アルプスと国宝松本城ライブカメラ」
https://www.city.matsumoto.nagano.jp/live/livecamera.html     
*4
長野県(2020)観光部 山岳高原観光課「令和元年 観光地利用者統計調査結果」
https://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangyo/kanko/toukei/documents/r1riyousyakekka.pdf
*5
厚生労働省(2016)「一人ひとりが取組みやすい食育」(松本市健康福祉部 健康づくり課 第120回市町村職員を対象とするセミナー 資料(2016年7月25日)
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000114065_2.pdf
*6
環境省「3010運動普及啓発用三角柱POP ダウンロードページ」
http://www.env.go.jp/recycle/food/3010pop.html
*7
長野県(2020)「長野県のそばについて」
https://www.pref.nagano.lg.jp/nogi/sangyo/nogyo/okome/soba.html

プロフィール
横内美保子(よこうち みほこ)
博士(文学)。元大学教授。大学における「ビジネス・ジャパニーズ」クラス、厚生労働省「外国人就労・定着支援研修」、文化庁「『生活者としての外国人』のための日本語教育事業」、セイコーエプソンにおける外国人社員研修、ボランティア日本語教室での活動などを通じ、外国人労働者への支援に取り組む。

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