「新庄監督について記事を書いてくれませんか?」
この打診を受けたとき、「まじかよ」と思った。
自慢じゃないが、わたしは「野球は9人チーム」「向かって右が一塁」「三振でバッターアウト」くらいしか知らない。
そんなわたしが新庄監督の記事を書いても、にわかバレバレで批判されるんじゃないだろうか。
そうは思いつつも、せっかくいただいたお話なので、新庄監督について少し調べてみた。最近よくニュースで拝見していたから、情報はいくらでも手に入る。
「ほほう、これはなかなかおもしろい。こんなリーダーならついていきたいなぁ」
新庄監督が想像以上にわたしの好奇心を掻き立ててくれたので、ここはいっちょ挑戦してみよう!ということで、今回わたしは、人生ではじめて野球関係の記事を書くことにした。
気づいたらビッグボスの手のひらの上だった
わたしにとって「新庄選手」のイメージは、「めっちゃ日焼けしてる歯が白い有名人」。これくらいだ。
その彼が、11月4日、日本ハムの監督になったという。
「就任会見」というと、きっちりとしたスーツか野球ユニフォームというイメージだが、ネットニュースを見たところ、新庄監督は某男性アイドルがカウントダウンライブで着てそうな派手な服を着ていた。
しかもそんな見た目で、自分のことを「ビッグボス」と呼ぶように求めたというんだから、笑ってしまう。
たしかに、監督って腕を組んでしかめっ面で指示を飛ばす、堅苦しいイメージあるものね。「ビッグボス」であれば、そんなイメージとは結びつかない。
でも、だからって「ビッグボスと呼んでください」なんて、ふつう言えるだろうか?
野球は、「スポ根」の代名詞みたいなスポーツだ。少なくともわたしはそう思っている。
別畑からやってきた人ならともかく、バリバリの体育会系のなかで生きてきた彼が慣例を打ち破るのは、ものすごく勇気が必要だったはずだ。従来どおり「監督」と呼ばれるほうが無難だっただろうに。
それでも彼は、「ビッグボス」という呼び方にこだわった。その理由はなんだろう。
そう考えてしまう時点で、わたしはもう、「新庄劇場」の観客のひとりになっているのだ。
「見られる」ことへの意識は組織にとって必要なもの
まんまとビッグボスに興味をひかれたわたしは、さっそくネットで情報収集した。そこでまず思ったのが、ビッグボスは「見られる」ことを強く意識していることだ。
「全国に名前と背番号を覚えてもらえるスター選手を輩出したい」「ユニフォームはチームのオーラを出すものだから一新したい」という発言からもわかるように、ただの強いチームではなく、「見ていてワクワクするチームにしたい」という気持ちが伝わってくる。
就任会見の派手な見た目はもちろん、ニュースになりやすい演出や積極的なSNSの利用など、「さぁ見てくれ俺を、俺たちを!」というアピールがすんごい。実際連日ネットニュースになっているわけだから、さすがのひと言だ。
「外からの視線」に意識を向けることのメリットは多い。
まずは、「健全化」だ。
カメラの前でいびり・いじめなんてもってのほかだし、道具の手入れだって丁寧にするだろうし、見た目を整えるのも当たり前。多くの注目が集まるなか、的外れなトレーニングをすればすぐに批判されるだろう。
「だれも見てないからいいや」と手を抜いていた部分も「見られているかもしれない」と、気を引き締めてかかる。
注目とはある意味、監視でもある。それがあることによって、みんなが日々の行動に注意し、洗練されていくのだ。
ふたつめは、「やる気トリガー」になること。
観客がだれもいない試合より、応援歌が響き渡りバンバンとメガホンを叩き鳴らす音で埋め尽くされるドームのほうが、選手はきっとやる気になる。
最近は「承認欲求」という言葉が悪い意味で使われがちだが、だれだって「認められたい」という気持ちは持っているはず。「見られている」という状況は、それだけでやる気を引き出してくれるのだ。
みっつめは、「トップが発信する安心感」があること。
リーダーが積極的にいま考えていることを発信することで、選手やファンはリーダーの考えをリアルタイムで把握できる。
全然知らない人が率いるチームについていくよりも、どんな人かわかっている人についていくほうが、安心できるものだ。
このように「見られる」ことのメリットはたくさんあるわけだが、だからといって実際に注目を集めるのはかんたんなことではない。だからこそ、派手な格好で就任会見に臨み、「ビッグボス」と名乗った新庄監督は、すごいのだ。
見られることへの意識はどの組織でも必須のリーダー要素
ここまで書いて思ったのだけど、この「見られることへの意識」って、実は企業や地域社会など、どんな組織でもとても大切なことなんじゃないだろうか。
企業においても健全化は絶対に必要だし、部下をやる気にすることは不可欠だし、従業員やユーザーが安心できる環境も重要だ。
ってことはもしかして、ビッグボスって企業人としてもやり手だったりするのかな? リーダー像として参考にできちゃったりする?
ちょっと想像してみよう。新庄監督ならぬ、新庄社長を。
社内会報に載っているスーツを着たよく知らんおじさんの近影が、派手なシャツを着て白い歯を見せて笑うビッグボスに代わる。
「かっこいい会社にする」と言って制服を一新し、新しいキャンペーンの進行状況をSNSでどんどん発信。現役時代の経験をもとに新たなやり方を提案し、それが毎回ニュースになる。
なんだかおもしろそうじゃないか。
ちなみに彼は著書『わいたこら。』のなかで、パフォーマンスについてこう語っている。
そして、パフォーマンスをやるからには絶対に勝たないといけないと思っていた。パフォーマンスをした試合に負けるのはダサすぎる。
だから、パフォーマンスをやる前に、対戦ピッチャーをめちゃくちゃ調べていた。(略)
プロなんだから、結果をだしてなんぼ。
そういうところは、僕はものすごく計算していた。
出典:『新庄剛志 (2018).わいたこら。 ――人生を超ポジティブに生きる僕の方法、 96』
まわりに向けて派手なパフォーマンスをしつつ、そこで上げた期待を裏切らないようにしっかりと努力もする。このバランスを計算して実行し、実際に彼は結果を出してきた。
あれ、新庄社長、かなり「アリ」じゃないか?
なんかもうわたしビッグボスのことめっちゃ好きになっちゃってるんだけど、なんだろう、彼のこの「引き寄せるちから」は。
リーダーは外からの視線に敏感であるべき
わたしがビッグボスに惹かれた理由はもしかしたら、「つまらないリーダー」に辟易していたからかもしれない。
わたしが学生のときアルバイトしていた全国チェーン店の居酒屋では、毎月本社から社長のお言葉が収録されたDVDが送られ、それを見て感想を書くという苦行があった。10分や15分程度の動画だったが、見知らぬおじさんがダラダラとしゃべるのを聞くのは本当に退屈でよく覚えている。
「女性活躍推進委員会」といった組織に女性がだれひとりもいなかったり、オリンピックの暑さ対策であさがおを並べると言ったり……自己満足に見える行動をするリーダーは少なくない。
もちろん、そういった人たちを「悪いリーダー」だというつもりはない。なにかしらの魅力や能力がなければ、そもそもリーダーなんてできないだろうから。
でも、もっと注目を集めて人を惹きつけよう、ファンを増やそう、みんなをワクワクさせよう……リーダーから、そういった気持ちがまったく伝わってこないのだ。だから、つまらない。
ビッグボスに注目しているマスコミや、彼の一挙一動をチェックするファンたちもわたしと同じで、「おもしろいリーダー」を待っていたのかもしれない。
批判を恐れず突き進み、ちょっとした言動がニュースになり、みんなを「おぉ!」と喜ばせたり、「えぇ?」と困惑させたりするような、まわりを引っ掻き回してくれるおもしろいリーダーを。
他人をワクワクさせてこそ「おもしろいリーダー」
人はみんな、「ワクワク」を求める。
平凡な日常にちょっとしたさざなみを立ててくれるようなリーダーを、熱望している。
でも実際は、自分の組織の一番上にいる人をまったく知らないことも多い。リーダー自身、多くの人から注目されている自覚がなく、トンチンカンなことをしてしまうこともある。
だから、みんなビッグボスに注目するのだ。
「おもしろいリーダー」に、振り回されたいから。「次はなにをするんだろう」と、ワクワクしたいから。
古いやり方を壊すけども、野球で結果を出すという本質は忘れず、さらにエンターテイメント性を加える。「野球」というザ・スポ根の分野だからこそよりいっそう輝く、「新庄剛志」という異質の存在。
わたしは野球なんてまったく知らないけど、「この人がリーダーならなんだかおもしろそう」だと思う。そしてリーダーとは、そうやって「注目を集め他人をワクワクさせる人」がなるべきなのだろう。
とくにいまはコロナ禍で暗いニュースが多いから、なおさら光を放つ人のもとに集まりたくなるのかもしれない。
とはいえあくまでビッグボスは「野球の監督」。彼の道が正しいかどうかは、今後の日ハムの活躍によって測れるだろう。それは、彼自身が一番わかっているはずだ。
まぁ、どちらに転んでも「おもしろい」と思えるあたり、理想的なリーダーなのかもしれないけども。
雨宮紫苑
ドイツ在住フリーライター。Yahoo!ニュースや東洋経済オンライン、現代ビジネス、ハフィントンポストなどに寄稿。著書に『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)がある。twitter→@amamiya9901