いつも利用しているレンタルビデオ店に、閉店案内の張り紙がしてあった。そっか。やっぱりこの店も閉まるのか。
先月から店の様子がおかしいな、とは思っていた。
レンタル用のコミックが売りに出されていたり、CDが姿を消したりして、初めは隙間程度だった棚の「何もない空間」が、あっという間に広がっていくのを来店するたびに眺めていた。
物語がぎゅうぎゅうに詰まっていた棚が空っぽになっていく様子は、まるで夢が虚無に食われていくみたいで、子供の頃に読んだ児童書を思い起こさせる。
レンタルビデオ店が住んでいる町から無くなったところで、困る人は多くない。私だって困りはしない。
コミックや映画のレンタルは、ネットの配信サービスよりもレンタルビデオ店の方がずっと安いからたまに利用していただけで、価格以外には魅力を感じていなかった。もう期限が切れかかっている会員カードを更新するかどうかも、少し前から迷っていたのだ。
このレンタルビデオ店グループの会員カードを作ったのは、かれこれ20年以上まえの話だ。以来ほとんど利用しなくなっても惰性で更新を続けてきたけれど、最寄りの店が閉まってしまうなら、これを機に退会するとしよう。
なんだか妙に寂しい。一つの時代の終わりを目にすることがやるせないのは、私の精神がもう若くない証拠だ。慣れ親しんだモノやサービス、風景が消えていく変化に、ワクワク感より寂寥感を覚えてしまう。
寂しさの理由は、もう一つある。
このレンタルビデオ店は全国にフランチャイズ展開をしており、私も加盟店の一つでアルバイトをしたことがあった。だから、同じグループの店には親しみを覚えていたのだ。
まあ、バイトをしたと言っても、たった1日だけの仕事だったけれど。
私が勤めていた書店の店主は、そのレンタルビデオ事業運営会社とフランチャイズ契約を結んでおり、書店の隣でレンタルビデオ店も経営していた。
その店舗が手狭になり、駅前に広いテナントを借りて2号店を出すことになって、ビデオ店のスタッフだけでは準備が間に合わないと言うから、開店前の1日だけ私も手伝いに行ったのだ。
本社から派遣されてきた社員さんの指示通りにDVDを並べていくだけだったから、楽な仕事だった。
新しい店舗は、店の内装から商品の並べ方、新しく始めるサービスの内容に至るまで、全て本社の指示通りにするという。
今度の店は1号店より大分広くなるので、CDとDVDのレンタルだけでなく、コミックレンタルや中古品(本やゲーム)の買取と販売も始めるそうだ。
駅前の好立地に大きな店舗を出すなんて景気がいいなと感心したけれど、同時に不安も感じていた。前のままでも利益は十分出ていたのだから、火傷しないうちにフランチャイズ契約を解消して、自社物件である1号店の店舗で別の商売を始めた方が良かったんじゃないかと思ってしまう。
実は、開店の手伝いに出向く少し前に、私はそのレンタルビデオ事業運営会社の株主総会に出かけており、もはや店舗型レンタルのフランチャイズに未来はないと思っていた。
私がその会社の株を買ったのは、21世紀が明けて間もない頃だ。
当時は10万円を投資するだけで、年間1万円分ものレンタルクーポンがもらえ、かなりお得だったのだ。
今思えば、あの頃がレンタルビデオ事業の最盛期だったのではないだろうか。
残念ながら気前の良い優待制度は長く続かなかったけれど、それでも株価自体が上がっていたので、売らずに保有を続けていた。それに、株主であれば株主総会にも出席できて、メディアに取り上げられることが多い名物社長にも会える。
初めて参加した総会では、社長は男としても経営者としても脂が乗っており、業界を牽引している自信が体全体を厚く覆って発光しているようだった。いわゆる成功者のオーラという奴だ。
彼は今後のビジョンをアメリカのレンタルビデオ業界を引き合いに出して説明し、自分たちはこれからも成長し続けると熱く語っていた。
「日本にはまだまだレンタルビデオ店が足りていません。そこで、今後もフランチャイズ加盟店を増やし、意欲的な出店を続け、地方の隅々にまで我が社の店舗を行き渡らせます」
と、声高らかに演説をぶつ姿は頼もしく、ひどく魅力的に映ったものだ。
翌年の株主総会も平和だった。レンタル事業がまだ好調であった上に、ポイントカード事業でも大きな注目を浴びていたので、誰の目にも会社の前途が洋々に見えていたからだ。
そんな状況が一変したのは、それから3年後のことだった。
アメリカのIT大手各社が音楽だけでなく映画のストリーミング配信も始め、アメリカ最大手のレンタルビデオチェーン店が破産してしまったのだ。
これは日本でも衝撃的なニュースとして伝えられた。
もちろん、社長もそうした時代の変化に手をこまねいていたわけではない。レンタルを中心とした従来型の店舗から、お洒落なライフスタイル提案型の書店に業態を転換することが発表されていたし、改革をトップダウンによって速やかに行うために、非上場化することも決まっていた。
非上場化を翌年に控えた最後の株主総会は、例年の倍以上の株主が詰めかけて大荒れとなった。
それまでの総会の質疑応答では、いくら社長が「株主の皆さん、何かご意見やご質問はありませんか?どんな内容でもかまいません」と促しても手が上がらなかったのに、この年の総会ではほとんどの株主が勢いよく手を上げている。
質問内容は3通りだった。
「インターネットとスマホの普及により、人々のライフスタイルは急速に変わりつつある。娯楽を提供する会社として、この劇的な時代の変化にどう向き合っていくのか」
「電子書籍の台頭が予想されている中で、書店の事業が上手くいくと思うのか」
「今まであなたの会社はフランチャイズを増やしていくことで大きくなってきた。けれどCDとDVDが役割を終え、そのレンタル事業も遅かれ早かれ終焉を迎えざるをえない。
あなたはフランチャイズ店とそのオーナーたちをどうするつもりなのか」
誰もが言い方を変えただけで、要約すると同じ内容の質問を繰り返していた。
それに対する社長の答えは全く覚えていない。印象に残るような答弁はしなかったのだろう。
ただ、余裕たっぷりだった前年までの態度とは打って変わって、短時間で質疑応答を打ち切り強引に総会を終了させてしまったことに驚いたのと、騒然とする会場から逃げるように引き上げていく後ろ姿に失望したことは覚えている。
あの全身から自信がみなぎっていた男性と同一人物だとは、にわかに信じがたいほどだった。
非上場化の件といい総会での様子といい、株主たちに「うるさい!」と言わんばかりの態度にはがっかりさせられてしまったけれど、実際に心底ウンザリしていたに違いない。
株主以上に、フランチャイズのオーナーたちから「これからどうするのだ!」と突き上げられていたはずだから。
「そんなことは自分で考えろ!」
と本音では言いたいだろうが、言おうものなら企業のトップ失格だ。
残酷なものだなぁと、紛糾する総会を見ながら考えていた。
レンタルビデオ事業の運営会社にとって、フランチャイズのオーナーたちは、ほんの少し前までは仲間であり大切なビジネスパートナーだったのに、突然お荷物に変わってしまったのだ。
だからといって急に付き合いを切ることはできず、
「店舗型レンタル事業はもうダメです」
と、事業の死を宣告することもできない。
きっと悪あがきをしながら、いよいよやっていけなくなるところまで粘り、フランチャイズ側から契約終了を申し出てくるのを待つのだろう。
結論は動かしようがないのに、誰も何もはっきりさせないまま、行き止まりまで行かなければ方向転換できないとは、いかにも日本らしいじゃないか。
私のパート先の書店は家族経営で、そのレンタルビデオ運営会社とは初期からフランチャイズ契約をしていたそうだ。
1980〜90年代にかけては良い時代で、レンタル事業が大きな利益を生み、そのおかげで自社ビルを建てられたと聞いている。
だったら、十分稼がせてもらったのだから、もういいじゃないか。その資産を元手に、時代遅れになりつつあるビジネスには見切りをつけて、さっさと新しいことを始めればいい。
と他人としては思うのだが、そうもいかないらしい。
「ねぇ、店長。駅前の物件は確かに好立地だけど、家賃も高そうですね。もうレンタルは儲かる商売じゃないのに、借金までして出店して、大丈夫なんですか?」
「仕方ないだろ。うちがあの物件を押さえなかったら、ライバル店が出店するって話が出てたんだよ。
あんな近い場所に大きくて新しい競合店ができたら、お客さんは間違いなくそっちに持っていかれてしまう。
確かに今の店でも客は来てるけど、レンタルの売上は落ちてるし、それを補うために新しい商品の取り扱いやサービスを始めようにも、今の店じゃ狭過ぎてチャレンジができない。
これからはレンタルだけやってる店では生き残れないから、新形態の店に生まれ変わるためにも移るしかないんだよ」
「新しい商品の取り扱いやサービスにチャレンジする」、「新形態の店にする」と言っても、それらは全て本社からの指示で、ノウハウや商品の流通は全て本社におんぶにだっこなのだ。
10年、20年とフランチャイズをやってきて、本社のノウハウで食べさせてもらっていると、今さら自立は難しいのだろうか。そもそも、自立するという考えを持つこと自体が難しくなってしまったのかもしれない。
「まだやれる」と言っているうちに、いつかは行き止まりに着いてしまうと分かっているのに、痛みを伴う決断は出来るだけ先送りにしたいのだろう。
パート先の店長とそんな会話をしてから、そろそろ干支が一周する。
驚くことに、日本のレンタルビデオ店は今もなお健在だ。本社もフランチャイズ店も逆風に立ち向かって、よく戦っていると思う。
しかし、時代の流れには抗い切れず、閉店が相次いでいるのも事実だ。
私は閉店が発表された店のDVDコーナーを一周して、イナゴに食い荒らされたみたいにスカスカになった棚から、古い映画を何本か借りて帰ることにした。
セルフレジで「ピッ、ピッ」と商品の読み取りをしながら、「これで最後なんだな」と思うと、わずかに胸が痛んだ。
Author:マダムユキ
ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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