編集部コラム
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宅配ピザのアルバイトが教えてくれた、私の人生の「何か」

肌艶や血色が良く、顔かたちの美しい少年を「紅顔の美少年」と形容すると知ったのは、私が中村先輩に見とれていた15才の頃だった。

2コ上の中村先輩は、ただ顔立ちが端正というだけでなく、思春期なのにニキビとは無縁の滑らかな肌に薔薇色の頬をしており、まさに紅顔の美少年という表現がぴったりの人だ。

先輩と言っても、同じ高校には通っていない。後に同じ大学へ進学することになるのだが、出会った当初の彼は、私が美大受験のために通っていた画塾に後から入って来た生徒だった。

彼は、ハンサムというよりも美しい人だ。
スラリとしていたがナヨナヨしたところはなく、パーツが大きく陰影の濃い目鼻立ちは、まるで白黒フィルム時代の映画俳優のよう。

人目を引く美貌に加え、県内一の進学校に通っている秀才でもあったから、女の子にはさぞモテたにちがいない。けれど、遊び人だという噂は聞こえてこなかった。性格は明るく爽やかで、当然ながら人気者だった中村先輩は、私には遠くから眩しく眺める高嶺の花だ。

高校時代の中村先輩は、東京にある美術大学の建築学科を目指していた。
当時は、アートの中でも建築は人気のあるジャンルだった。建築家である安藤忠雄氏の人気が日本を席巻していたからだ。

「コンクリート打ちっぱなしの近代的な建築は、女よりも早く老ける」と、すでに昭和の時代に向田邦子さんが小説に書いているけれど、まだ豊かな時代だったからだろうか。機能や耐久性、環境への配慮よりも、デザイン性が高く評価される時代だったのだ。

日本の気候風土に向いていると言えない安藤氏の作品群は、圧倒的なデザイン性で若者たちを魅了していた。
建築家を目指す田舎の高校生に「好きな建築家は?」と聞けば、おおよそ8割が「安藤忠雄」と答え、残りの2割が「アントニオ・ガウディ」と答えていた時代のことだ。そして、中村先輩は8割の方だった。

中村先輩は、受験対策として安藤忠雄風の建築模型を作っては、それをデッサンする練習をしていた。誰も彼もが安藤忠雄を目指していた時代だったから、先輩の考えたデザイン画はありふれていて凡庸だったし、にわか仕込みのデッサンはド下手の部類に入ったが、彼ならきっと現役合格するだろうと予想していた。
何故なら、実技試験が重視される美大の受験において、建築学科だけは実技よりも学科試験の配点が高く、実技のスキルが重視されていなかったからだ。
予想していた通り、中村先輩は何なく入試を突破して、東京へと旅立っていった。

先輩が卒業した後の教室は寂しかった。想ってどうにかなる相手ではないと諦めていたが、誰もが憧れる人に私も憧れていたのだ。
中村先輩がいなくなってからも、私は胸の奥で彼を慕い続け、先輩を追うために同じ大学を目指した…わけはない。

私には私の日常があり、目標があった。結果として中村先輩と同じ大学へ入ったのは、私も先輩と同様に実技試験では勝負ができず、学科で点を稼いで突破するしか現役合格の道がなかったからである。
その大学には、建築科ほどではないが学科試験の配点が高く、実技が下手でも入れる理論重視のデザイン科があったのだ。残念ながら第一志望だった4年制の造形学部には落ちてしまったが、短期学部には合格した。

同じ大学に入学した私が中村先輩と再会したのは、キャンパス内ではなく道端だ。偶然にも私が一人暮らしを始めたアパートのすぐそばに、先輩も住んでいたのである。

先輩はよくアパート前の道路に工具を広げ、愛車であるバイクの整備をしていた。私が外出しようとアパートの外階段を降りると、バイクいじりをしている彼が目に入ってくる距離感だった。

先輩はちゃんと私を覚えてくれていたが、同郷で同じ画塾出身のよしみがあっても、それで二人の仲が急接近するようなドラマは起こらなかった。近距離に住んでいても、彼はやっぱり遠くから眺めるのがやっとの人だ。

先輩とバイクの横には、彼女らしい女の子が一緒にいることが多かった。同じ大学の学生のようだったけれど、茶髪全盛の時代に黒髪でおかっぱ頭、化粧気のないのっぺりした顔立ちに、洒落っ気のないジーンズ姿の彼女は幼く見えた。

「え?あれでいいの?」
中村先輩に対しても彼女に対しても失礼過ぎるが、彼に憧れを抱いていたからこそ女として感じた率直な思いである。
美大という場所には個性的な美人が多い。ユニークでチャーミングな女の子たちに囲まれる環境に身を置きながら、なぜわざわざ特徴がない地味な女の子を彼女に選んだのかと思わずにいられなかったのは、黒く焼ける胸の痛みによるものだったのだろうか。

バイク好きを活かしてなのか、先輩はアパートの近くにあった宅配ピザ店で、配達のアルバイトをしていた。ピザ屋の制服を着て、慣れた様子でバイクを操る先輩ともしょっちゅう出くわした。

制服姿の先輩に初めて会った時、私の顔には失望の色でも浮いていたのだろうか。
先輩は変わることのない爽やかな笑顔で、
「家から近いし、バイクも乗れるし、このバイト気に入ってるんだよ。大学に入ってからずっと続けてるんだ」
と、高校時代と変わらない爽やかさで話してくれたが、私は実際に失望していた。

先輩が田舎臭い素朴な女の子を好きになろうと、近所の宅配ピザ店のバイトを気に入っていようと本人の自由だ。東京に染まらない堅実さはむしろ好ましいはずだった。
なのに素直に納得できない。大学には有名なメンズファッション誌のモデルをしている男の子たちがいた。先輩だって、本人が望みさえすればもっと素敵な彼女とかっこいいアルバイトができるはずなのに。

そんな風に考えてしまうのは、田舎から東京に出てきて大学デビューし、次第に都会の刺激に溺れ、うぬぼれが深まっていた私の傲慢さだったのだろうか。

東京での大学生活は、あっという間に過ぎていった。短期学部を終えてすぐに就職を選ぶ学生は少なく、仲の良かった同級生たちもそれぞれ4年制の学部に編入したり、専門科や専門学校への進学が決まっていた。
私もロンドン留学に向けて旅立つ準備を進めながら、卒業の日を迎えた。

4年制学部と短期学部の卒業式は合同で行われる。つまり、2学年上の中村先輩も、私と同じ日に大学を卒業するのだ。

卒業式には仮装で参加するグループも居たが、私は入学式の日に着たのと同じグレーのスーツを着用した。式の終了後は、仲の良い友人たちや仮装している同級生たち、この日のために上京してきた母親と記念写真を撮るのに忙しかった。

これから社会に旅立つ人にとって、卒業式は学生生活を終える区切りとなる。けれど、私と友人たちは引き続き学生生活を送るため、卒業式と言っても寂寥感はまるで無く、パーティーのつもりで大はしゃぎだった。

写ルンですを片手にあちこちで写真を撮り、はぐれてしまった友人を探して講堂へ戻りかけたその時、出入り口付近の人混みで、ワインレッドのスーツを着たド派手なホストとぶつかった。
なんだこの場違いな男は、仮装なのか?と見上げた先にあった顔は、憧れてやまなかった中村先輩その人だ。

「せっ…、せせせせせ先輩?」
だだだだだ誰?
中村先輩に違いないその人のいでたちは、まだ午前中だというのに夜の新宿歌舞伎町だ。

「おおおおおお久しぶりです。えっ?えええええっと、せせ先輩もご卒業おめでとうございます。せっせせせ先輩は、こっこここれからどっどうなさるんですか?」
夜王として仕上がっているその人を前に、上手く口が動かせなくなったわたしはどもり倒した。その年のヒット曲であるシャ乱Qの「ズルい女」が脳内で流れ始める。

先輩は、これまで見たことがないほど上機嫌で、長く伸ばした前髪をかきあげながら、
「あぁ、俺ぇ?ははははっ。就職なら決まってないよ。つーか就職はしない。これからプーよ、プー」
と、何が面白いのか分からないが、可笑しくて仕方がないといった風に笑って答えた。
就職は決まっていないと話しながら、言葉とは裏腹に態度と表情は自信に溢れている。しかも、彼の手首や胸元には、宅配ピザのバイト代では買えるはずのない高価な貴金属が光っていた。
というか、何だそのチャラい喋り方は。

美大の建築学科を卒業したからといって、必ずしも建築デザイナーとして就職できるわけではないし、建築士の資格が取れるわけでもないが、先輩には進学校で仕込まれた高い学力があったのに何をしていたのだろう。
すでに就職氷河期に突入していたとはいえ、容姿も頭脳も優れた先輩なら資格試験は難しくなかっただろうし、就職だって決められたはずだった。

そういえば、しばらく前から中村先輩の姿を見ていなかったことに気がついた。宅配ピザのアルバイトは、一体いつの間に辞めてしまったのだろう。そして、いつから夜の街で働き始めていたのだろう。
先輩は、その輝くばかりの美貌が簡単にお金に変わる愉快さを知って、人が変わってしまったのだろうか。それとも東京の美大に入ったことで、センスあると思っていた自分の凡庸さに直面し、ネオン街に逃げてしまったのだろうか。
なまじ恵まれ過ぎている人ほど、挫折が受け入れられずに崩れていくのはよくある話だった。

気づけば、いつも先輩のそばにいた彼女も姿を消していた。
「なんであんな地味な女が中村先輩と一緒にいるの?」とそれまで思ってきたけれど、こうなってみるとあんな女と一緒に居て欲しかった。

5年間の憧れが崩れていく心の中の情景と音を、どう表現するのが適当なのか分からない。ただ、
「終わった」
と思った。さよならの挨拶は、上手く笑えたのか覚えていない。
お別れをしてその場を離れた後に、後ろ髪を引かれて振り返った。場違いさが際立っている中村先輩は、遠くからでも浮き上がって見えた。

「終わったな」
最後にもう一度そう思って、先輩との記念写真は撮らなかった写ルンですを握りしめ、私は駆け出した。


Author:マダムユキ

ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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