昨年9月、友人である篠原氏から電話がありました。
「僕の店の顧問をお願いできませんか」
普段の口調とは違う改まった声に、思わず耳を疑いました。
私の主たる職業は社労士。サービス業や接客業を営む企業を中心に、労働・社会保険諸法令に基づく情報提供やコンプライアンスのサポートを仕事としています。
片や篠原氏は、都内にあるイタリアンレストラン「ラ・パスタイオーネ」のオーナー。この店は2015年から6年連続でビブグルマンを獲得した有名店でもあります。しかしコロナの影響で2020年7月、静かに看板を下ろしたのでした。
あれから2か月。友人からの突然の顧問の依頼は、驚きと同時に密かな期待を抱かせるものでした。
目次
ミラノのロックダウンが参考に?!
「アランチーニって、知ってます?」
食べることは好きでも料理の名前を覚えるのが苦手な私は、即答で「知らない」と答えました。
ーーアランチーニ。
イタリアはシチリア島のソウルフードとして愛される「リゾットコロッケ」。日本ではまだ馴染みの薄いこの食べ物が、一体どうしたというのでしょう。
「ミラノで貧乏生活してた頃、僕の胃袋を満たしてくれたのがアランチーニなんですよ」
10代の頃、サッカーフリークだった篠原氏は本場イタリアのサッカーを堪能するために、ミラノで一人暮らしを始めました。そして語学学校へ通うテイで毎日スタジアムへ足を運んだ末、チケット屋と仲良くなり、正規ルートではない方法でイタリア語を覚えました。
ミラノといえばイタリア食文化の中心地。市内には有名店から屋台まで、様々な料理店が軒を連ねます。しかし「レストラン」というのは高価な飲食店であり、お金に余裕のない若造が入るには到底無理があります。
そのため篠原氏は、近所のガストロノミア(惣菜屋)で安価なパンや惣菜を買っては一人アパートで食べる日々を送ります。そのなかでもご馳走に近い料理が、「アランチーニ」だったのです。
「イタリア料理に『アツアツに熱した』とか『キンキンに冷えた』料理って、ないんですよ」
これは意外な事実。
「Tiepido(ティエピド)って言うんですが、日本語にうまく訳せないんですよね」
と、同氏は苦笑。
辞書で調べると、
・ぬるい
・生温かい
・熱くもなく冷たくもない
・熱意の乏しい
などの和訳が出てきます。しかしイタリア料理の真髄ともいえる「ティエピド」は、これらの意味とは少し違うのだそう。
「イタリアでは熱くも冷たくもない状態の料理が好まれるんです。そしてその代表がアランチーニ。コロナ禍にもかかわらず、ミラノで売れ行きが好調なんですよ」
彼が何を言いたいのか、私はようやく気が付きました。料理の温度や状態に左右されず、イタリア料理を手軽に提供できる方法、それはテイクアウトーー。
そして「ティエピド」こそが、テイクアウトの持つ無限の可能性への第一歩となるのです。
実際にロックダウン下のミラノでは、ガストロノミアやテイクアウトの需要が目立ちました。皮肉にも、手軽に美味しく食べられるアランチーニは、コロナ禍でさらなる人気となったのです。
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店内で提供できるサービス、店外で楽しめるサービス
店主である篠原氏、実はシェフではありません。それなのになぜ、ビブグルマン常連のレストランを切り盛りできたのでしょう。
「レストランで食事をするということは、その空間での体験が大きな意味を持ちます。どんなに豪華で美味しい料理を作っても、サービスの質が低ければお客さんは満足しません」
このような意見を最近よく耳にします。しかしなぜそこまでサービスにこだわるのか、同氏を追及しました。
「僕は見てのとおり、生え際は後退してるし(笑)アレルギーはたくさん持ってるし、ないものだらけの人間なんです。だからこそサービスの本質がわかるというか」
氏いわく、
「食物アレルギーで、これは食べられないんです」
という顧客に対して、その食材を抜いて提供する行為はサービスでもなんでもないのだそう。その人が食べられるものを聞き出し、代わりに添えて出すことが「サービス」なのだと。
「せっかくお店に足を運んでくれたのに『食べられないなら抜きますね』じゃあ、喜んでもらえません。だったらお客さんの好きな物や食べられる物を聞いて、可能な限りアレンジして出してあげることこそがホスピタリティでしょう」
あまりに当たり前のことですが、これを実践できる飲食店がどれほど存在するでしょうか。メニューや仕入れの関係から「顧客のわがままに付き合っていられない」と一蹴する店主もいるでしょう。また、「そういう気持ちはあるが実際に提供するには検討が必要」と考える店主もいるでしょう。
しかしながら、利益云々を度外視し「真のサービス」を提供することが、最高のおもてなしであり料理をさらに美味しくする隠し味となるのだと、篠原氏は言います。
その根底には、彼自身のコンプレックスや食に対する経験上の不自由さがヒントになったことは間違いありません。そして「痛みを知っているからこそ他人へのサービスに繋げられる」と教えてくれたのです。
昨年、コロナの影響により店内におけるサービスの提供が消え、ラ・パスタイオーネは閉店を余儀なくされました。その代わりに、いつでもどこでも美味しさを味わえる=店外でもサービスの提供ができる「テイクアウト」へのシフトチェンジを決断します。
「持ち運べるイタリアン、というイメージですね。自宅でも公園でも、どこでも手軽に楽しんでもらいたい。ミラノにいた頃、貧乏な僕の唯一の楽しみだったアランチーニを日本の皆さんにも味わってもらいたい」
私に顧問依頼の電話をかけてきた一カ月後、彼は「ComeStai?(コメスタイ=元気?調子どう?)」というユニークな店名で、テイクアウト・通販専用のアランチーニ専門店をオープンさせました。
彼自身の過去の経験がコロナショックを乗り切るヒントとなり、さらにはイタリアの食文化を広める「妙手」となり得る可能性に、私は大きな感動を覚えました。
ミシュランガイドへの新たな挑戦状
話は反れますが、ビブグルマンを獲得し続けた裏で「ミシュランガイドの覆面調査員」を見抜くことはできたのか、という質問を篠原氏へ投げかけました。
「まぁ分かりますよ。偉そうな言い方ですが、まともなサービスマンなら分かると思います」
それがなぜ正解だと分かったのかを尋ねると、ミシュランガイドに掲載される前に「挨拶」があり、そこで「先日はどうも」という流れになり、答え合わせができるのだそう。
ミシュランの調査員は、目立った質問や行動をとるわけではありません。いかに当たり前に、いかに質の良い対応ができるのかに目を光らせています。
つまり、調査員に対して良い対応をすれば評価が上がるわけではありません。いつでも誰にでも、均等に良質なサービスを提供することこそが、ミシュランの求める基準でありビブグルマンを獲得する秘訣なのかもしれません。
ラ・パスタイオーネをオープンさせてわずか2年で初のビブグルマンを獲得。そこから6年連続でミシュランガイドに掲載され続けた「14坪の名店」は、もうありません。
しかしその3ヶ月後。同じ場所から、テイクアウト専門の「ComeStai?(コメスタイ)」が産声を上げました。
「これまでは店内でのサービスでお客さんに喜んでもらいました。これからは、美味しいものを店外で楽しんでもらうことを『サービス』と位置づけていきます」
顧客に対してどんなサービスを提供できるのか、その手段や方法を考え続けることこそがホスピタリティ。そして時代や世間の変化にアジャストさせていくことで、常に最高のサービスを提供できるはず、と胸を張る篠原氏。
そんな同氏の目下の目標は、現在ミシュランガイドに評価項目のない「テイクアウト」について、「ComeStai?」から挑戦状を送りつけることです。
「ミシュランはタイヤメーカー。タイヤを売るために『車を使って美味しいレストランへ行ってもらおう』というのが発端です。だったら、美味しいアランチーニを買いにミシュランのタイヤでお店に来てもらえばいいんです」
なかなか斬新な発想ですが、的外れな意見ではありません。コロナの影響がいつまで続くのか分かりませんが、少なくとも、自宅中心の生活となったこの一年は紛れもない事実です。
コロナ禍で飲食店がダメージを受ける中、テイクアウトという食事の提供方法が浸透すれば、飲食業界への新たな期待も高まります。
その一石を投じる行動として、ミシュランを捨ててでも広げていきたい「食の未来」を、篠原氏が見せてくれたのではないかと感じます。
浦辺里香(うらべりか)
ライター/特定社会保険労務士/ブラジリアン柔術紫帯
早稲田大学卒業後、日本財団、東京中日スポーツ新聞社を経て社労士として開業。
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