社員に長く勤めてもらうためには、仕事に見合った給与を支払うだけでなく、企業が社員に対し成長に向けた道筋を示すことが重要です。
社員は、成長した自分の姿を描くことができないと「このまま、ここに働いていていいのだろうか?」と将来に不安を抱いてしまい、離職につながりかねません。
そこで今回は、若者のスキルや所属企業に対する考え方を例示した上で、助成金を活用して実施できる研修を紹介します。
目次
「それは自己研鑽だから…」
これは筆者が、とある地方の新聞社に勤めていたときのエピソードです。上司の指示で、就職活動中の学生を対象にした会社説明会に出席することとなりました。
車座形式で、仕事の内容、やりがいなどについて説明し、学生たちからの質問に答える、といったものでした。
そんな中、とある大学生から「仕事のための資格取得や参考書籍購入に対する補助制度はありますか」と質問を受けました。
筆者自身、そのような社内制度について把握しておらず、自身の意識の低さを恥じながら、人事担当者に問い合わせました。
しかし、帰ってきたのは「そんなものはないよ」という答えでした。
さすがに質問した学生にゼロ回答はできないと思い、類似の制度はないか、今後創設する見通しはないかと食い下がりましたが、
「資格を取るとか本を買うのは自己研鑽だから、自分でお金を出してもらわなきゃ」
とにべもありませんでした。
この学生にどのような回答をしたのか、記憶はありません。ただ、翌年の入社式にその姿がなかったことだけは覚えています。
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スキルアップに熱心で、キャリアアップ志向の若者
筆者の知人が勤めているある経済団体では、バックオフィス部門に配属されていた新入職員が現場配属を命じられた途端、退職をしてしまったそうです。
理由を聞き出すと「忙しくなって公務員試験の勉強ができなくなるから」ということでした。
筆者の勤務先でのケースと経済団体でのケースで見えてくるのは、若者たちは自身のスキルアップに熱心であることです。
さらに、一つの企業に定年まで在籍するという意識は薄れており、勤め先を変えながらなりたい自分に向けてキャリアアップしていく志向も見て取れます。
企業の永続的な発展のためには、若い人材の活躍が欠かせません。そのためには、企業としての魅力アップを図りつつ、社員のスキルアップや資格取得に対し積極的に投資をしていく姿勢が求められています。
この2つの事例は、そのことを如実に物語っているといえるでしょう。
とはいえ、全ての企業が潤沢な資金を持っているとは限りません。
人的リソースにも限界があり、とてもそこまで手が回らないという企業も多いのではないでしょうか。
そこで活用したいのが今回ご紹介する、国などによる従業員のスキルアップに対する助成制度です。
社内だけでなく、社外のリソースを活用しても支給される補助金もあるので、検討する価値があるでしょう。
以下、制度を使って実施できる研修の一例を挙げていきます。
研修例1 OFF-JTの活用
実際の業務を通じ、メンターが部下や後輩に対して仕事に必要なスキルを授ける「OJT」(On-the-Job Training)は、多くの企業で取り入れられているメソッドです。
このOJTに、外部の座学などによる研修「OFF-JT」(OFF-the-Job Training)を取り入れることで、より効果的にスキルアップを図ることができます。
特に、建設業や情報通信業など、技術が必要な職場はOJTとOFF-JTの相乗効果が期待できるでしょう。
例えば、電気工事の会社が、OJTに加えて第二種電気工事士のOFF-JTを加えることで、得た知識を現場での仕事にフィードバックすることも可能です。
若手人材を即戦力として育成する手段としても有効でしょう。
このようなOFF-JTの実施に際し、外部講師に対する謝金や旅費、講習会の受講料や教科書代などの一部、さらには訓練期間中の所定労働時間内の賃金を助成してくれるのが「人材開発支援助成金」です*1。
この助成金は目的ごとに7種類のコースがあり、うち「特定訓練コース」「一般訓練コース」がOFF-JTを補助対象としています。*2
中でも特定訓練コースは、ポリテクセンターや職業能力開発大学校で行う訓練や、厚生労働大臣が指定する教育など、効果の高いとされている訓練に対象が限られているのが特徴です。
助成率は45~60%(1人1年間の上限50万円、中小企業の場合)で一般訓練コースの30~45%(1人1年間の上限20万円)よりも高くなっています。*3
また両コースとも、マナー講習など職業人が共通して必要とするものや、日常英会話など趣味教養を目的とするものなどは対象外です。*4
経費助成(%) | 賃金助成(1人1時間あたりの金額) | 支給限度額(1人当たりの年額) | |
特定訓練コース | 45~60% (30~45%) |
760~960円 (380~480円) |
最大で50万円 |
一般訓練コース | 30~45% | 380~480円 | 最大で20万円 |
参考)厚生労働省厚生労働省「人材開発支援助成金(特定訓練コース・一般訓練コース)のご案内(詳細版)」p22、23をもとに筆者作成
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000923538.pdf
研修例2 休暇を伴うスキルアップ
社員に休暇を取らせ、その間に仕事で必要なスキルを磨いたり、知見を深めたりしてもらう研修は、社員満足度が高い手段です。
福岡市に本社がある西日本新聞社では、入社12年目の社員を対象に、最長21日間の自己企画研修を認める制度を創設しています。研修費用は30万円まで会社が負担します。
これまでに200人以上が小笠原諸島やハワイ、イギリスなどで思い思いの体験を積んでいます*5。
多忙なイメージのあるマスコミですが、画期的な取り組みです。
しかし、このような事例は日本企業ではまだ少数です。
国際労働機関(ILO)は1974年、有給教育休暇を労働者の権利として保障する条約を採択しましたが、日本は未だ批准していません。*6
そんな中、人材開発支援助成金の「教育訓練休暇等付与コース」では、3年間に5日以上の有給教育休暇を導入した事業主に最大36万円を支給する制度を設けています。
また、30日以上の長期教育訓練休暇を導入した事業主には、最大24万円の支給に加え、1人につき1日6,000円(最大150日分まで)の賃金助成を規定しています。*7
賃金助成(1人1日当たり) | 経費助成 | |
教育訓練休暇制度 | なし | 30万~36万円 |
長期教育訓練休暇制度 | 6,000~7,200円 | 20~24万円 |
参考)厚生労働省「人材開発支援助成金(教育訓練休暇等付与コース・人への投資促進コース)のご案内(詳細版)」p4をもとに筆者作成
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000922572.pdf
研修例3 非正規雇用者を正規労働者に
人材育成は、正社員だけに限定したものではありません。契約社員や嘱託社員、アルバイトやパートタイマー、派遣労働者などに必要な研修を施し、正社員にすることで、人材力の強化を図ることができます。
このような非正規雇用の労働者を正規労働者にした場合に支給されるのが「キャリアアップ助成金」です。
例えば有期労働者を正規労働者にして生産性の向上が認められた場合、1人当たり72万円(中小企業の場合)が支給されます。
さらにIT研修など特定の訓練を実施することで助成金が1人当たり最大12万円加算されます。*8
どうしても社員のスキルアップに手が回らない場合
経営状況や人繰りなどによりどうしても社員のスキルアップにまで手が回らないということもあるでしょう。
そのような場合は、冒頭の例に出した企業のように社員の自己研鑽に頼り、助成するのも一つの手段です。
社員の主体的な能力開発やキャリア形成に対しては「教育訓練給付制度」という補助金が用意されています。
この制度では、厚生労働大臣が指定する講座や研修を修了した際に、受講費用の一部が支給されます。
補助率は資格や講座ごとに分かれていて、TOEIC、TOEFL、実用英語技能検定(英検)、日商簿記検定などは20%、普通二種や大型自動車などの運転免許は40%、保育士、社会福祉士、看護師などは70%となっています。*9
講座の主催者が制度を活用できることを案内していることが多いのですが、社員の向上心に報いるためには、会社からも制度の周知をする必要があります。
参考)厚生労働省「国から支援を受けられる主な資格・講座リスト」
https://www.mhlw.go.jp/content/000822405.pdf
終わりに
会社の利益を社員のスキルアップに還元しようとする考えは、今に始まったものではありません。
上方落語の人間国宝・故桂米朝さんの得意とした演目に、商家を舞台にした「百年目」という噺があります。
クライマックスでは、商家を赤栴檀(しゃくせんだん)という木に、丁稚や手代を難莚草(なんえんそう)という木に例えます。
赤栴檀が下ろす露により、木の根元で難莚草が成長し、育った難莚草が肥料になることで赤栴檀が栄えるーという天竺の言い伝えを引き合いに出し、従業員を大事にするよう諭しています。*10
人材が枯渇してしまった企業に、発展の道はありません。補助金や助成金を賢く活用し、従業員の成長を図っていきましょう。
*1
出所)厚生労働省「人材開発支援助成金(特定訓練コース・一般訓練コース)のご案内(詳細版)」p19
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000923538.pdf
*2
出所)厚生労働省「人材開発支援助成金(特定訓練コース・一般訓練コース)のご案内(詳細版)」p10~13
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000923538.pdf
*3
出所)厚生労働省「人材開発支援助成金(特定訓練コース・一般訓練コース)のご案内(詳細版)」p22、23
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000923538.pdf
*4
出所)厚生労働省「人材開発支援助成金(特定訓練コース・一般訓練コース)のご案内(詳細版)」p20
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000923538.pdf
*5
出所)会社を知る|西日本新聞社RECRUITMENT
https://c.nishinippon.co.jp/recruit/company/
*6
出所)1974年の有給教育休暇条約|ILO駐日事務所
https://www.ilo.org/tokyo/standards/list-of-conventions/WCMS_238096/lang–ja/index.htm
出所)ILO第一四〇号条約(有給教育休暇に関する条約)の批准促進に関する質問主意書|衆議院
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/a123008.htm
出所)厚生労働省「人材開発支援助成金(教育訓練休暇等付与コース・人への投資促進コース)のご案内(詳細版)」p1
https://www.mhlw.go.jp/content/11600000/000922572.pdf
*8
出所)厚生労働省「キャリアアップ助成金のご案内」p6
https://www.mhlw.go.jp/content/11910500/000923177.pdf
*9
出所)教育訓練給付制度|厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/jinzaikaihatsu/kyouiku.html
*10
出所)「特選!! 米朝落語全集 第六集」
【著者プロフィール】
藤田勝久(ふじた・かつひさ)
香川県三豊市出身。中央大学卒業後、地方新聞社で勤務。地方行政・選挙のほか、公立病院の経営問題、ESD(持続可能な開発のための教育)などを取材してきた。2021年フリーとして独立。中小企業や個人事業主の経営サポートの経験もあり。